敗戦によって失われた精神①(3S政策)

3S政策。これで日本人の精神性や文化、伝統はずいぶん失われてしまいましたよね。

戦後、ずいぶん時間が経ったのだから、もうそろそろ古いものであっても「いいものはいい」と認めて復活させていかないと日本の素晴らしい文化が完全に失われたまんまになってしまうと思います。

以下、明治大学教授齋藤孝さんの著書「日本人の心はなぜ強かったのか」より抜粋して紹介します。

【ターニングポイントは「敗戦」】

「敗戦によって失われた精神」

こうした経緯とは別に、日本には歴史的に大きな不幸に見舞われ、精神を鍛える伝統が大きく変容した、あるターニングポイントがあった。敗戦である。

勿論、都市を焼き尽くされ、破壊されたという物理的な悲劇も大きい。だがそれは、敗戦によって終わった。

ところが、それと同時に始まったのが、「精神の破壊」だ。

戦後、日本人は「精神」という言葉に対し、多大なアレルギーを持つ様になった。日常で使う事は憚(はばか)られたし、教育者もこぞって逃げ出した。

例えば、「日本人の精神」「日本の精神」という表現だけで右翼思想を連想する人は少なくないだろう。私自身が子供の頃に受けた教育でも、「日本の精神力」という言葉を聞いただけで、「ちょっと戦前みたいだな」と思ったものである。

だが落ち着いて考えてみると、これはイメージの植え付けでしかない。

藤原正彦氏の著書「日本人の誇り」によれば、戦後、日本人に「罪の意識」を植え付けるプロジェクトが進行したという。「先の戦争は全て日本人が悪かった」と思い込ませようとしたわけだ。これが“奏功”し、日本人は自分自身に罪の意識を持ち、すっかり自信を喪失してしまったという事だ。

とりわけ戦後の「精神」を忌避する象徴的な事例が、連合国軍最高司令官総司令部(GHQ)による武道の禁止」だ。

GHQは、例えば剣道を国粋主義や軍国主義の元凶として、学校及び一般において禁止した。GHQの占領終了とともに剣道禁止令は解除された。

しかし、そもそも武道が戦争に直結しているかといえば、決してその様な事はない。その発祥の時期は様々だが、例えば戦国から江戸時代にかけての頃には、既に宮本武蔵が剣の鍛錬を行っている。「五輪書」等を読むと、武道や武術に対する高い認識が窺える。柳生新陰流の柳生但馬守宗矩が活躍したのも、江戸時代初期だった。

この様に江戸時代初期にかなりのレベルで成立していた武道と、20世紀の全体主義国家の戦争とを、短絡的に結び付ける事には疑問符が付く。

また、当然ながら、イタリアのムッソリーニもナチスのヒトラーも武道とは無関係だ。

つまり「武道があったから戦争を起こした」という理屈は成り立たないのである。むしろアメリカやイギリス等に共通する帝国主義こそが、戦争の主因だろう。帝国主義による近代的な侵略と武道の精神とはかけ離れている。江戸時代は決して殺し合う様な時代ではなく、むしろ世界史上でも稀に見る天下太平の時代であった。

にもかかわらず、なぜGHQは武道を潰したのか。

続く

→ 敗戦によって失われた精神(3S政策)②

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