二種類の人との繋がり

引き続き、菅野仁さんの著書「だち幻想」を読み返していて考えたこと。

人間関係で悩んでしまう人は多いけれど、周囲の人を見ていても昔よりもどんどんその数が増えている様な気がします。その一番の理由は、自分が人間関係において求めているものが、自分でもよく分かっていないからなんじゃないかなと思う。

人生とは人や社会との関係で成り立っている。他者や社会との繋がりの中で、人は喜びや悲しさを感じている。

「無人島で人間は自分一人だけ」という状況でない限りは、誰かとの繋がりの中で人は達成感や喜びを得ている。釣りがいくら上手くて、沢山魚を釣って満腹になっても、その腕前を褒めてくれる人がいない、またその魚を一緒に美味しく食べてくれる人が皆無であれば、人は幸せを感じられないのだと思うんですよね。

そして、その中でも、自分の成長や達成感みたいなものを重視するタイプと、人との心の触れ合いを重視するタイプがいて、両者は相手に求めるものが全く違う。

僕自身は、たぶん、「自分が成長したい」という願望が人よりも強いタイプだと思うのですが、でも後者の「心の触れ合い」も大事にしたいという想いは強いみたいで、後者を軽んじる人にはカチンと来る事がよくあるんですよね。

菅野仁さんの「友だち幻想」にこの二つの価値観に関する部分がありました。この本、思春期に入る頃の世代に学校で読ませたらいいと思う。分かりやすくて、本当にいい本。押しつけがましくないんですよね。


【二種類の人と人との繋がり】
 
人間は、様々な人との繋がりの中に、一体何を求めているのでしょうか。
 
大きくいって二つの種類が考えられる。
 
一つは、
人と繋がる、つまり人間関係を作る事によって、自分にとっての利得や利益といったものを得ようとする場合、つまり「“繋がる事そのもの”に目的がある」のではなく、「目的はあくまで繋がりの外にある」場合です。
お金儲けのため、自分の出世のため等といった目的のために人との関係を作っていこうとする場合。
 
もう一つは、
人と繋がる事そのものが目的である様な場合。
この人といると何となく楽しい、気が合う、ホッとするといった友達との関係、あるいは家族の関係などは、損得や利害を超えた繋がりと言える。
この第二の繋がりの性質を、この本では「交流」と言い表そうと思う。
 
もっとも繋がりのこの二つの性質は、現実の生活においては重なっている場合も多い。
友達関係を良くする事で試験の時にポイントを教えて貰えるとか、仕事上の付き合いだけど、とてもウマが合うので親友の様に話が出来るとか、色々考えられる。
 
けれど、人間関係の本質をきちんと考え直すためには、この二種類の繋がりを一旦は概念的に区別して考えた方がいい。
 
 

この菅野さんのおっしゃる「二種類の繋がり」を、自分の中で仕分け出来ていれば、人間関係における悩みはかなり軽くなるんじゃないかと思います。

「相手によって使い分ける」というと、ちょっと嫌な言い方になるけれど、でもまあ誰もが生きている中でやっている事ですよね。

この人とは、あくまで仕事上の付き合いだから、お互い割り切って付き合う。互いのプライベートな部分には踏み込まないし、仕事以外の会話は浅い世間話くらいしかしない。

逆に仕事上の関係ではあるけど、妙に気が合うから一緒にご飯を食べに行ったり、休日にまで会って話す中になったとかいう場合もある。お互いに相手が、「心の交流」が出来る相手だ、と認め合う仲になっているんですよね。

仕事上、役立つとか単なる利害関係を超えた人間関係というものを、人はどこかで求めていて、それが今はSNS上にでも広がっているのだと思う。Facebookやツイッター、インスタグラムでも「あくまで仕事上の繋がりや宣伝効果を求めてやっている」という人もいれば、「人生で自分が大事にしている価値観を共有出来る仲間探し」に使っている人もいる。

この両者がお互いを分かり合う事は、なかなか難しいかもしれないな、とも思います。両方をバランスよく持っている人ならいいんでしょうけど、そういうバランスのいい人は実際の人生でも少ないから、それがSNSの難しさにもなっているのかもしれない。あちこちで炎上が起こりますもんね。

人は誰かと繋がりたい。しかし、その目的は人によって異なる。

仕事や自己の向上という「自分の利益のため」がメインになる人と、「他者との交流・心の触れ合い」を目的にする人。

「どっちが正しい」と言えない内容だから、難しくて、ややこしい。

本の中にはこういった感じで書かれています。表現がとても上手いなと思います。


【人は一人でも生きていけるが、一人だけでは何となく空しい】
 
私達は人との繋がりに、一体何を求めているのか。
それはやはり「幸せ」になる事であると考える。
 
ただし、一言で幸せといっても、
「人との繋がりをいわば利用し手段とする事により、自分自身(だけ)の幸福を求めよう」とする場合と、
人と繋がる事そのものを味わう、つまり人との心の交流を求める事により、「幸せだなあ」という実感を得ようとする場合がある。
 
人間には色々な考え方はあるけれど、自分一人だけ幸せを得るよりも、身近な人達を中心に多くの人と幸せを感じる事が幸せを味わう事になるのではないか。
 

この、「人は、”自分一人だけ幸せ”という状態を、あんまり幸せとは感じられない」という部分、これが人間の複雑さというか、面白い部分なんじゃないかなと思います。

この、「人は、”自分一人だけ幸せ”という状態を、あんまり幸せとは感じられない」という部分、これが人間の複雑さというか、面白い部分なんじゃないかなと思います。

「自分だけ」が目的を達成した、成功した、幸せになった。多分、人はこれで本当に幸せだとは思えない。

自分の愛する人達、仲間も幸せじゃないと、自分の心が満たされない。

自分が仲良くしている人が喜んでいたり、幸せそうにしていたりする時に、人間というものは一番幸せを感じられる脳を持っているのかもしれないなと思います。僕も犬や猫を飼っていましたが、ペットを可愛がる人なんて、本当にそんな感じですよね。犬や猫が、自分に親愛の情を示してくれ、すり寄ってきてくれる時って何ともいえない位の幸せを感じます。

そういう時、その人の脳の中には幸せホルモンと呼ばれているオキシトシンが溢れる様に出ているんでしょうね。

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