その被害者は生まれなかったかもしれない②

「教育の敗北」

どうして中学に入って、急降下したのか?
実際に聞いてみると、「中学に入ったら全く勉強が分からなくなった。でも誰も教えてくれなかった。勉強が分からないので学校が面白くなくなり、さぼる様になった。それから悪い事をし始めた」と答えた。
つまりこの少年の場合、中学校で先生が熱心に指導をしてくれたら非行化しなかったでしょうし、被害者も生まれなかったのです。

非行化を防ぐためにも、勉強への支援が大切だと感じたケースでした。
非行は突然降ってこない。生まれてから現在の非行まで、全て繋がっている。
多くの支援者が様々な場面で関わってきた例もあるが、それが上手くいかず、どうにも手に負えなくなった子が最終的に行き着く所が少年院だった。

子どもが少年院に行くというのは、ある意味、「教育の敗北」でもあるのです。

「教育の敗北」。学校だけじゃないですよね、これ。凄く考えさせられたので、ちょっと真面目に書いてみたいと思います。長くなりそうなので、邪魔くせ~と思う人はスルーして下さい(笑)

こういう例って、習い事の教室、芸術系やスポーツの指導なんかでも同じで、「分からないヤツ、出来ないヤツが悪いんだ」「お前の努力が足りない」と言ってバッサリ切り捨てられるパターンが多いですよね。大体、勉強でもスポーツでも芸術関係でも、指導者の立場にまわる人はもともと「出来たタイプの人」「センスが良かった人」が多いから、不器用で鈍くさいタイプの人間は面倒くさがられたり、嫌われたりする事が多い。

僕自身は幼稚園の頃から、水泳をやってて既にその頃から自分は不器用なタイプなんやなっていうのを自覚していたし、後に空手をやってもキックやボクシングをやってもやっぱり不器用さは同じでした。人の何倍もかかってやっと一つの動作を覚えていく。

ただ、その代わりに「じっくりと時間をかけた分、どうも要領のいいタイプの人よりも脳にきっちりと定着するみたいなんやな」っていう事に少しずつ気付いて、脳の仕組みや神経系統の作り方に興味を持つ事が出来ました。最初は独学で色々な本を読んで勉強して、神経回路の作り方や小脳に動作の記憶が入っていく事なんかを覚えて、セミナーやら勉強会で学ぶうちに天才が脳の中で何をやっているかとか、逆に凡人や鈍くさい人が何をやっているかも少しずつ分かる様になりました。

たまたま、僕はそういう事に気付けたから、ひねくれたり、道を踏み外さなかったけど、それが無かったら、心がねじ曲がって間違った方向へ行ってしまったのかもしれない。そのちょっとの違いで道を誤った人って世の中には多いんやろうなと思うんですよね。

脳や神経の勉強からどんどん範囲が広がり、昔の教育についても興味を持って実は昔の躾や教育法が物凄く理にかなっている事を知って、また戦後アメリカにそういう教育を奪われてしまった経緯を知り、どんどん陰謀論的な方へと走りました(笑)

今はそういった脳や神経回路の作り方や社会による洗脳を解く方法を人に教えたりしているんですけど、学校の先生や色々な世界の指導的立場にいる人がまず「出来ないヤツが悪い」ではなくて、「出来ないヤツにちゃんと伝えられない自分が悪い」とか「出来るようにしてやれない自分が悪い」という思考に切り換えていけたらこの殺伐とした社会は本当に変わると思う。

優等生や一流選手が指導者にまわる弊害って本当に大きいと思っています。自分が出来たから「やれば出来る!」の信念が強過ぎて、「出来ないのはお前の努力が足りないんだ!」と短絡的な結論に至ってしまう。「出来ない人がなぜ出来ないのか?」、その本当の理由を考えようとしない。気持ちもが理解できないし、身体的な、神経的な部分なんてまるで考えられない。

これってこの宮口さんの言葉でいうなら、「生徒の敗北」ではなくって、「指導者の敗北」なんやと思う。

幼い頃から比較と競争にさらされて、いつも落伍者として扱われ、けなされ、蹴落とされ、傷つけられてきた子を救ってあげられる指導者が今こそ本当に必要なんだと思うんですよね。

Follow me!