無茶をしていた時、それが青春

この文は響きました。

この定義で言うと、僕はまだまだ青春を生きていますね。

このまま、一生青春を生きていきたい。

安全運転のモードには入りたくない。

一か八か、危険を感じながら、ハラハラドキドキしながら生きていきたい。

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生きているなら、色んな無茶をした方がいい。何か人生の年輪の様なものがあるとして、後に見返すと、異常に線が濃くなっていて、そういえばそうだったよなって思うでしょう。

色んな種類の無茶をしなくてはダメ。そう思います。

仕事の無茶。部活動の無茶。上司との無茶。兄弟の無茶。親子の無茶。旅行で無茶。そして、無茶な恋。あの時はどうかしてたよ、という人生の無茶があって、その時間だけやたら濃くて。

それをなんと言い直すかというと、僕だったら「青春」と言い換える。

だから、どんな年齢になっても、青春はある。

青春はやって来るものではなくて、自分で無茶をしていなくては味わえない。そう思います。

ナガオカケンメイ著「ナガオカケンメイのやりかた」より

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