離見の見~もうひとりの自分を意識する~
この記事の中に、凄く興味深い部分があったので、シェア。
サカナクション山口一郎氏「制作してる時ってものすごく孤独」 自宅作業時に実践している、心と身体のセルフケア法とは
自分の顔を映しながら作業すると、集中力が上がる 山口:あとね、最近始めたのは、僕のデスクってラップトップと普通のPCがあるんですよ。ラップトップで歌詞を書いてるんですけど、こっちのPCの方でカメラアプリ立ち上げとくんですよ。そうすると、自分の顔が映るじゃないですか?
作業しながらたまに自分の顔を見ると、なぜか集中できるんですよね。これ、何でなのか分かんないんですけど。 歌詞を書いている時に、自分と向き合って言葉を書くので、自分と向き合うじゃないですか。でも、目に見えない中で自分と向き合っているんですが、自分の顔が見えると、向き合っている相手がいるような気がして。
ラジオをかけながら勉強する方とかもいらっしゃるじゃないですか。その感覚に似てるのかなぁとも思ったりもするんですけど。最近それですごく集中できたり、何か新しい発見があったりとか。独り言が独り言じゃなくなってる感じというか。それは最近見つけたことですね。 司会者:自分を見ながら考えるっていうのは、新しい発想だなという感じがしました。 山口:これ本当に効果あるので、岩原さんもぜひやってみてください。鏡じゃだめなんですよ。カメラアプリが良いんですね。
鏡やカメラによる俯瞰した視点を持つ効果。
僕は鏡で十分効果があるのですが、昔からわりとこの効果は使ってますね。今では慣れてきたからか、「ずっと自分を映しているカメラがある」っていう意識が持てている気がする。もう一人の自分、魂レベルの自分が、上から自分を眺めている=監視している、様な感覚。
空手道場やボクシングジムってほぼ必ず鏡があって、常に「自分で自分を見る」から、その第三者的な視点を持つ効果には早く気付きました。
「疲れた顔をそのまま晒している情けない自分」とか、「お!今、気合い入ったいい顔してるな」とか、鏡を見ると「今の自分の状態を知る」事がしやすいんやなと。 第三者的な俯瞰した視点や意識を持ちやすいんでしょうね。
その後、神道を学んだ時に、鏡の意味や魂との向き合い方について教わったりして、色んな気付きを得られました。 鏡は真実を映しているから神器として扱われたとか、「鏡-我(が)=神」とか、なるほどなって思っていました。スピ系やと、ハイヤーセルフとかですよね。
カメラは「撮られてる感」を感じたい人には有効なんかな?って気がします。僕は鏡に慣れているから、それで十分効果がある気がする。 芸能、アーティストの人はカメラで撮られている感覚が好きやったり慣れているのが大きいのかも。
トレーニングやスポーツの場面でも動きのチェックとかで動画はよく撮ったりするけど、「俯瞰する」視点や「離見」の意識を持つために、何か自分に向いた方法を持てば、仕事でも、そして人生や人間関係でも上手く運べる様になると思います。
僕はトレーニングを指導している人達には、 「プロフェッショナル」とか「情熱大陸」みたいな番組のカメラが自分を追いかけて撮影されている気持ちで行動する様な感覚を持ってトレーニングしたり、日常生活も送る様に、と言うんですけど、そういう意識を持っていれば第三者的な視点を持てるし、真我によって自分をコントロールしやすくなると考えています。
自分がアスリートとかのドキュメンタリー番組とかが好きやったから、自分自身も修行時代とか常にそんなイメージを持ってました。
人間って、本当に弱い生き物で、すぐに自分に負けるけど、「その弱い自分を外から見ている自分」が居るだけで、行動が全く変わる。 「情けない行動をする自分を見ている、もうひとりの自分」が存在していると、苦しい状況に負けそうな自分を乗り越えられる。 卑怯な振る舞いをしそうな自分を見て、その醜さに気付く事が出来る。
しんどい毎日に耐えられたのは、それがかなり大きいと自分では思っているんですよね。