人は変われる⑥

「人は目的に適うものを見つけ出す」

アドラーが「経験それ自体」ではなく、「経験に与える意味」によって自らを決定する、と語っているところに注目して欲しい。

例えば、大きな災害や幼い頃の虐待といった出来事が、人格形成に及ぼす影響がゼロだとは言わない。影響は強く在る。

しかし大切なのは、それによって何かが決定される訳ではない、という事だ。

我々は過去の経験に「どの様な意味を与えるか」によって、自らの生を決定している。人生とは、誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものであり、自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのだ。

先の引きこもりの若者の例で言うと、

「自分は両親に虐待されたから、社会に適合出来ないのだ」と考えているのだとすれば、それは彼の中にそう考えたい「目的」があるのだ。

直近のものとしては、「外に出ない」という目的が在るだろう。外に出ないために、不安や恐怖を作り出している。

では、どうして外に出たくないのか?

あなたが両親だったらどう思うだろう?

それはそれは心配するだろう。どうすれば社会復帰してくれるのか、元気を取り戻してくれるのか、そして自分の子育ては間違っていたのか。

あらゆる努力を試みるだろう。

問題はそこにある。

外に出る事なく、ずっと自室に引きこもっていれば、親が心配する。親の注目を一身に集める事が出来る。まるで腫れ物に触る様に、丁重に扱ってくれる。

他方、家から一歩でも外に出てしまうと、誰からも注目されない「その他大勢」になってしまう。

見知らぬ人に囲まれ、凡庸なる私、あるいは他者より見劣りした私になってしまう。そして誰も私を大切に扱ってくれなくなる。

これなどは、引きこもりの人によくある話。

この若者は、「目的」を達成しており、今の状態にある程度 満足している。

不満はあるだろうし、幸福という訳ではないだろう。

しかし、彼が「目的」に沿った行動をしている事は間違いない。彼に限った話ではなく、我々はみな、何かしらの「目的」に沿って生きている、それが目的論である。

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まさに「目的論」で、人は自分の人生の目的に沿った、自分とって都合のいい物語を紡いでいくんですよね。

過去のトラウマに苦しむ自分を演じ、「周囲の人から同情を買いたい、甘やかして欲しい」という想いがある人は、その役を演じる事にこだわり続け、その役を絶対に手放さない。

その反対に、不幸な境遇を乗り越え、前向きに生き抜く主人公を演じたい人は、どんな境遇に置かれていても、その環境に負ける事無く生き抜く主人公を忠実に演じていく。

「自分の人生の主演も脚本家も監督も自分である」とはよく言われますが、本当にその通りで、人生とはまさに「自作自演」の物語。

どんな脚本を書き、どんな役を演じ、どんな演出をするのか?

全ては自分次第。

どうせなら、楽しく明るく、前向きで周囲の人に夢や希望を与えるドラマを生み出し、「自作自演」で気持ちよく演じていきたいですよね。

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アドラー

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