人生は距離感で決まる

【距離感】

人間関係の要諦は、本当にこの「距離感」ですよね~。

フェイスブックで西野さんの記事を読んでいて、自分の経験を振り返り、凄く考えさせられました。

ちょっと抜粋します。

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キングコング2人の距離感、今が一番ちょうどイイ
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さて。
僕達はコンビ結成して22年ぐらいになるわけですが(長いね)、今、どんな感じでコンビの活動をしているかというと、YouTubeチャンネルで週に一度会うぐらいなんですね。

それだけ聞くと、コンビとしては衰退した感がハンパ無いと思うし、ネガティブな記事を書こうと思ったらいくらでも書けると思うのですが、内情はどうかというと、(これは梶原君も同じ意見だと思いますが)コンビとしては今が一番イイです。

お互いにやることがあって、お互いのフィールドでそれなりに頑張っていて、それで週に1度会って、「今週どんな感じやった?」と話すぐらいが、ちょうどイイんです。
毎回、「なるほど!」や「WAO!」があって、お互いの話を前のめりで聞けるんですね。

二人が面白がってやっていることは、画面上からも、たぶん伝わってると思います。
これが、コンビのレギュラー仕事が10本あったら、この関係にはならないわけで、これって難しいところですよね。

僕にとってはコンビの仕事が増えることよりも、今の関係が続くことの方が重要なので、コンビのレギュラー仕事を増やすことにはすごく慎重になっています。

人間関係の要諦は、本当にこの「距離感」ですよね~。

僕は元々、打撃系の空手やボクシングといった武道・格闘技をしていたのですが、そういう競技って自の制空権への意識が凄く大事なので稽古していく過程で、距離間にどんどん敏感になるんですよね。

大道塾の東先生が柔道出身で極真空手を始めて、「打撃系の人間と組技系の人間は性格が全く違う」とおっしゃっていて、「自分自身も稽古していく内に、性格が変わって来たのを実感した」という内容の事を書いておられたのですが、自分がやる前はただ「へえ~、そうなんや」と思っているだけやったんですよね。

離れて闘う競技って、各自の自分なりの制空権があって、「相手がそこへ入ってきたら撃ち落とす」みたいな感覚があり、相手との距離に凄く敏感にならざるを得ない。

それは物理的な物だけではなく、心理的にも「相手を寄せ付けない・この距離からは入れない」みたいな感覚が育っていく。

自分がそれだけをやっている時は、徐々に性格もそれ用に変化していくから気付かないんですよね。それが選手を辞めてから、前からずっとやってみたかった組技の武道や格闘技を始めてみると、本当に全く違う。

距離が凄く近い。当り前なんですけど(笑)

それは単に競技としての距離感だけじゃないんですよね。道場の空気感から全く違う。競技同様に距離感が近い。

柔道・ブラジリアン柔術・古流柔術・レスリングと色々稽古したのですが、やはり全てに組技系の共通している同じ空気がある。打撃系とは全く違うんですよね。

「洋の東西」とは違う区分があるんやな~と思いました。同じ西洋のレスリングとボクシングでも、その競技が持つ空気感は正反対で、東洋の柔道・柔術の方がレスリングには近い。

道場生同士の心理的な距離感も全く違う。ピリピリ感が違うんですよね。

打撃系の人の様な「俺の制空権に断りなく入るな!」「寄らば斬る!」みたいな殺気、にらみつける様な異常な空気感が道場にない。

心身一如、体と心は同期しているといいますが、本当にそれを実感しました。

打撃系はピリピリ感が行き過ぎていて、ちょっと性格が悪いというか、キツイ。

それに比べると、組技系の人は大らかで柔らかい。

勿論、個々人の性格の違いはあるんですけど。

その人がやっている仕事やスポーツといった取り組みが、その人の性格を作り、人間性を形作っていく。

また、新しく何かに取り組めば、その新しい取り組みが自分の中に吸収され、取り込まれて、性格や人間性といったものに変化を与えていく。

人間関係の距離感が苦手な人でも、こうやって自分がやっていない方=反対側の競技や仕事をやったら、強制的に変わるんやな~と自分の体を通して実感した出来事なんですよね。

人と接するのが苦手な人は一時期でもいいから、ガマンして対人関係でのサービス業をする。反対に一人でジッと自分と向き合って作業するのが苦手な人は、職人的な仕事や工場でのモノ作りをしてみるとかすると、自分に欠けている、反対側の部分が育つ様に思います。

そうやっている内に、他人だけではなく、自分自身との距離感の取り方も上手くなっていく様な気がする。

人生の一番の基礎は、「自分自身との関係=エゴと真我の対立関係にどう対処するか?」にありますもんね。

子供の頃に、あえて苦手な方向のものを少しの期間でもいいから習わてあげる事は、人間性の偏り・歪みに自分で気付いたり、修復したりする上で、凄く大事な気がします。

大人になってから気付いて、自分で修正するのって、物凄く労力が掛かる割に、効率も悪くて結局直らなかったっていうパターンが多いですもんね。

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