自分の人生の意味は何か?

この問いに迷いなく答えられる人は、少ないと思います。

この資本主義の社会の中で、

自分は何をするために生きているのか?

自分の人生は何のためにあるのだろう?

そんな疑問を心の中に抱えたまま生きている、そんな人がほとんどだと思います。

そんな問いを誰かに投げ掛ければ、即座に「そんなムダな事を考えている暇があったら、もっと社会の役に立つ事を考えろ!」と言われるだけでしょう。

しかしそうして、自分が生きる上で一番本質的な問題を放ってきたから、何かが起こる度に心にいつも迷いが生じ、疲れてしまうのです。

考えてみて下さい。

何年も何十年も、ある道を歩かされているけれど、その目的地は自分には知らされていない。

そんな苦行の様なことをさせられたら、あなたは明るく前向きな気持ちで歩いていけるでしょうか?

苦痛でしかないと思います。人間にとって先の見えない、目的の分からない行動や努力は一番の苦痛なのだそうです。戦時中には、捕獲した敵の兵士にそういった苦役を拷問代わりにして与えた例があるという話があります。

我々の多くが、そんな例と実はそう大差ないのではないかと思います。確かに、いい学校に入る、いい職場に就職する、といった形で目に見える目標が、「一応」設定されてはいます。

しかし、その目標は本当に、心の底から、あなたが望むものなのでしょうか。

親や社会など、誰かによって、「君の能力ならこんな程度だろう。この範囲の中から選びなさい」と言われただけのものではありませんか?

おそらく誰もが幼い頃には、「歌手になりたい」とか、「スポーツ選手になりたい」「宇宙飛行士になりたい」といった大きな夢を素直に口にしていたはずです。

あなたはいつから、そんな自分の素直な想いを表に出さなくなってしまったのでしょう。誰かに「いつまでもそんな夢みたいな事ばかり言ってるんじゃないよ!」と批判されたのでしょうか。

しかし、あなたがその時点で「その通りだ」と考えてしまったとしたら、そこからあなたは「他人のための人生」を送り始めたのです。

その時点で、あなたは自分の心の奥にある「本当の想い」、そして「本当の自分」を抑え込んで生きる事を選択してしまったのですから。

それは、「自分よりも他人の望みに従う生き方」を選んでしまったという事です。

その時点からあなたは「本当の自分」では生きていないのだから、ずっとずっと「ウソの自分」という仮面を被って今まで生きてきたのです。

これは自分への虐待です。

こんなに自由なはずの日本という国で、奴隷の様な生き方を自ら選択してしまっているのです。

いつの日か、そんな生き方には無理が来ます。病気になったり、心が病んでしまったり、何らかの不調や不幸が人生に起こってくるでしょう。

その時点でやり直しがきけば、それでもいいかもしれません。実際に、病気になったり、事故にあった事で、本当の自分を抑え込んでいた事に気づいて、生き方を変えられた人も多くいます。

しかし、その時点ではもう遅かったらどうでしょうか?

もう取り返しがつかない程、病状が進んでいたら?

あるいは事故でのケガが酷くて、もう余命いくばくもないとしたら?

そんな取り返しがつかない所へ行き着く前に、自分の生き方を振り返り、「他人が作ったレールの上を歩く人生」から、「自分が行きたい所へ、自分が通りたい道を選んで歩く人生」へと切り換えるべきなのではないでしょうか。

本当に自分のやりたい事をやり、自分の目指すべき所へ向かっていれば、たとえ人からは困難な道に見えたとしても、自分の心の中はしんどくても充実感でいっぱいのはずです。

他人からの称賛を追い求めるのではなく、自分の人生を生き切る事によって「心の中にいるもう一人の自分、つまり本当の自分に誉められる」そんな人生を目指してみませんか。

もし、少しでもそんな想いがあるとしたら、当アカデミーはあなたのお手伝いが出来るかもしれません。そして、あなたと共に人生を歩んでいける素晴らしい仲間との出逢いが待っていると思います。