自分と向き合える場所
人の顔色なんか気にせず、本気で自分の内面に向き合える場所、時間って大切ですね。
母校?っていうのか、僕がお世話になっていたジムやったので凄く親近感が湧きました。
しんどかったけど、濃密で充実した時間でしたね。
「そんなことやって何になるんだ」家族の反対を押し切ってプロ宣言 女子ボクサー・藤原茜はなぜアラフォーになっても闘い続けるのか
「特に女子はグループで行動しがちですよね。楽しいことも、もちろんたくさんありました。でも、ふとした瞬間、『なんで今、みんな笑ってるんだろう?』みたいな違和感が時々あって。楽しいフリをして、周囲と一緒に笑ったり、無難に過ごしていたんです。
でも、ワタナベジムに入って、本気で笑っている自分がいることに気づきました」
もちろん、楽しいことばかりではないはずだ。プロの世界は厳しい。ボクサーである以上、減量もある。こんな時代に何かを犠牲にしなければ、リングに立つことすら許されないのがボクサーのはずだ。
「何かを我慢したり、何かを犠牲にしてリングに立っているとは思えないです。練習するのも、減量するのも、試合のため。何かを捨てているというより、何かを追いかけている気がします。
プロボクサー・藤原茜インタビュー(前編)
プロボクサーの藤原茜。36歳である。彼女はなぜ、”アラフォー”を迎えながらリングに立ち、闘い続けるのか。美しきファイターの”生き様”に迫る――。
プロボクサーの藤原茜。
腫れ上がった顔でプロテインを飲む彼女を見て、試合を観戦した大学時代の交際相手が聞いた。
「いつまで続けるの? 殴られる姿、もう見てられないよ」
ありきたりのロマンス映画なら、彼女はグローブを壁にかけ、元彼と復縁したかもしれない。
だが、ボトルに残ったプロテインを飲み干すと、彼女はキッパリと言った。
「じゃあ、会場に来ないで。私がやりたくてやっていることに口を出してほしくない」
プロボクサー藤原茜、36歳。闘い続ける理由がある――。
運動は幼い時から得意だった。
最初に始めたのは水泳。兄が通うスイミングスクールは3歳からしか入れなかったが、「入りたい、入りたい!」と駄々をこね続け、特別に3歳の誕生日を待たずに入会を認めてもらった。
小学生時代は陸上、水泳、体操教室とさまざまな競技を経験。同時にピアノや絵画も習う多才さも持ち合わせていた。
中学に入ると、気の合う友だちの多くがバスケ部に入部。しかし彼女はバレー部を選んだ。
「バスケットのように、ひとつのボールを奪い合ったり、取り合ったりするのが苦手で。同じボール競技でもネットがあるバレーならいいかなって」
大学は日本体育大学へ。
「特に『スポーツ大好き!』みたいなことは思ったことがなくて。ただ、幼稚園の頃から足が速かったり、人より運動ができたんで、なんとなくの流れでしたね」
大学では部には所属せず、趣味で社会人のバレーボールチームに参加し、夏はビーチバレーで汗を流したりもしたが、もっぱらスポーツジムのインストラクターのバイトに明け暮れる日々を過ごした。そして、スポーツ・健康事業の企画や運営を請け負うコンサルティング会社に就職。決め手は、家から近いことだった。
「自転車で通える距離だったので(笑)」
だが、入社1週間で違和感を抱く。「ここでずっと働くのはムリだな」と、直感の赴くままあっさり3カ月で辞めてしまう。
「私の人生、行き当たりばったりで、計画性がないんです(笑)」
ただ、転んでもただでは起きないバイタリティを彼女は持ち合わせていた。
バイトを掛け持ちしながら、退職から3カ月後にはパーソナルトレーナーの資格を習得。その後、ダイエットや健康には運動のみでは不十分だと栄養学を学び始め、ファスティング関連の書籍を出版、グルテンフリーのスイーツ専門店をオープンさせたりもしている。
27歳までボクシングとは無縁。それもそのはず、彼女は言う。
「ボクシングも、格闘技も、まったく好きじゃなかったです」
2014年、トーレニングや栄養学を学んだ際に師と仰いだ人物が和氣慎吾(FLARE山上ボクシングスポーツジム)のトレーナーをしていた縁があり、和氣の東洋太平洋スーパーバンタム級王座防衛戦を観戦する。
世界が変わるのに、3分もいらなかった。
「初めてボクシングの試合を見て、気づいたらもうやっていたみたいな」
もちろん、周囲からボクシングを始めることに反対意見も多かった。だが「私、都合のいい耳なんで」と、彼女は一切気に介さなかった。
とはいえ、ボールを奪い合うことすら苦手だった彼女が、拳にバンテージを巻いたのは大きな矛盾を孕(はら)んでいるように映る。
「ですよね。自分でも思います(笑)。ただ、競技を続けるなかで少しずつ言語化できるようになったんですけど、私のなかでは何も奪い合ってないんです、ボクシングって。
奪うんじゃなくて、自分がやってきたことをリング上で出す。もちろん相手はいますけど、究極的に自分を磨いて、磨いて、磨いて、リング上で披露する。リングの上で相手から何かを奪ったり、取り合ったりしているわけじゃない気がするんです」
和氣に「女子の選手が多いジムがいいよ」と紹介されたのが、ワタナベボクシングジムだった。
「ワタナベジムが家から5分だったんです。私、運命とか信じちゃう系なんで(笑)」
ロマンチストは同時に淡い野望を抱いていた。
「女子ボクシングがロンドン五輪で正式種目になり、2020年の五輪開催地が東京に決定したタイミングだったんです。ボランティアでもなんでもいいから、五輪に関わりたい。でも、できるなら選手で。女子ボクシングは競技人口が少ないので可能性があるかなって」
程なくして、ロマンチストは思い知らされる。わずか数年では多少運動神経がいいくらいで、五輪への扉をこじ開けることはできない。
この時、ボクシングから退いたとしても、誰も後ろ指など指さなかったはず。それでも、彼女が選んだのは引退ではなくプロ転向だった。
「プロはアマと違って、ヘッドギアもないし、グローブも薄い。だから、恐怖はありました。でも、それ以上にボクシングを辞めることのほうがイヤで。
自分の今までの人生で、運動も、勉強も、仕事も、それなりにそつなくこなしてきたつもりではいたけど、何かで1番になったことがなくて。人生で、1度でいいから1番になってみたい。きっと、ここでボクシングを辞めたら、私は一生何かで1番になれないと思ったんです」
決断したというより、もはや後戻りできないほど、彼女はボクシングを愛し始めていた。
「やればやるほど、奥深さも、怖さも知って。やるほどにボクシングが好きになっちゃったんで。楽しくてしょうがないですもん。あの日、選んだのがボクシングでよかったって思います。きっと他の何かではダメだった」
プロボクサー・藤原茜インタビュー(後編)
◆前編:ボクシングも格闘技も好きじゃなかった27歳女子がリングに上がったワケ>>
プロボクサーの藤原茜。photo by Fujimaki Goh© Sportiva 提供 2017年12月、藤原茜のプロデビュー戦。この日は同門の元WBA世界スーパーフェザー級スーパー王者、”ノックアウト・ダイナマイト”の異名を誇った内山高志の引退記念パーティーの日だった。
試合前、パーティーに参加できないこととデビュー戦への意気込みを、彼女は内山に伝える。
「応援団が大勢来てくれます。その人たちのためにも頑張って勝ってきます」
内山から返ってきたのは、思いもよらない言葉だった。
「それは違う。闘うのはおまえだ。誰かのためじゃない。おまえはおまえのために闘うんだ」――。
彼女は自身のことを「私、持ってる」と言う。
「私が今いる環境って、望んで得られる環境じゃない。内山高志という偉大なチャンピオンがいて、当たり前のように何人もの世界チャンピオンと同じ場所で練習できる。
先輩も後輩も『姉さん、こうしたらいいですよ』って、惜しみなくアドバイスをしてくれる人ばかり。ボクサーとしても、人としても、カッコいい人ばかりなんです。数多あるボクシングジムのなかでも、このジムに、このタイミングで所属できた私、持ってます(笑)」
思い出す学生時代の風景がある。
「特に女子はグループで行動しがちですよね。楽しいことも、もちろんたくさんありました。でも、ふとした瞬間、『なんで今、みんな笑ってるんだろう?』みたいな違和感が時々あって。楽しいフリをして、周囲と一緒に笑ったり、無難に過ごしていたんです。
でも、ワタナベジムに入って、本気で笑っている自分がいることに気づきました」
もちろん、楽しいことばかりではないはずだ。プロの世界は厳しい。ボクサーである以上、減量もある。こんな時代に何かを犠牲にしなければ、リングに立つことすら許されないのがボクサーのはずだ。
「何かを我慢したり、何かを犠牲にしてリングに立っているとは思えないです。練習するのも、減量するのも、試合のため。何かを捨てているというより、何かを追いかけている気がします。
それに私、減量好きなんです。体重が落ちていくのは、女子的にもうれしい(笑)。『痩せたら可愛くなるなぁ』とか、『めっちゃ腹筋割れてて、くびれててカッコいい!』みたいな」
ジムメイトから「姉さん」と呼ばれる彼女だが、その呼称とは似つかず、泣き虫だ。そのハートは、固形ですらなく液体。「私、豆腐どころか、豆乳メンタルなんです」と彼女は笑う。
もはや試合前の控え室で泣くのが恒例。泣きながらアップのミットを打ち、リングインのわずか5分前まで泣いている。
「いまだに涙のわけがわからないんです。緊張のせいかもしれないし、もしかしたら怖いのかもしれない。やってきたことが出せるか。やっぱり自分に期待してるから」
プロになると宣言した時、彼女の父親は「そんなことやって何になるんだ」とぶっきらぼうに言った。ただ、出場する試合はすべて会場を訪れ、リングインの際は花道の先頭で声を枯らしながら、娘をリングに送り出す。
どうせ会場に来るならと、彼女がチケットのもぎりを頼むと「なんで俺がそんなこと」と毎度愚痴をこぼす。
最初は娘の試合前によく泣いていた母は、今では涙を見せない。「娘がボクシングをすることをどう思ってるの?」とよく聞かれるが、そのつどこう答える。
「この歳になっても、娘の成長を見られたり、応援できたり、役に立てるのがうれしい」
彼女がボクシングを始めてから、10年の月日が経とうとしている。
その間、日本女子フェザー級王座、WBO女子アジアパシフィックスーパーバンタム級王座、OPBF東洋太平洋女子スーパーバンタム級王座、3度ベルトを巻くチャンスがあった。しかし、3度とも失敗。
「ボクシングを辞めようと思ったことはないけど、昨年3度目の挑戦で判定負けした時は、『ヤバッ。一生ベルト獲れないかも』って。3回もチャンスをいただけるって、なかなかないことなのに。
ただ、いつかベルトを獲れれば、重ねた失敗の数だけ笑い話に変わるって信じてます。自分の人生の物語は、自分で描かないと」
それでもアスリートである以上、いつか終わりは訪れる。どんな結果を得られれば、彼女は満足してリングを降りることができるのだろうか?
「その答えは、ベルトを巻いてから考えます。ベルトを巻いたからこそ、見える景色がある。正直に言えば、自分でも何を成し遂げたら満足できるか、納得できるかわからない。
そのためにも、どんなベルトであろうとまずは巻く。その時の気持ちは、その時になってみないとわからないから。ベルトを巻いた先に何があるのか知りたい。そこで、満足して辞めるかもしれないし、もっと先までって思うかもしれないから」
「何を成し遂げたら満足できるか、納得できるか」
その答えが見つけられるのは、リングの上だけ。しかし、次戦はなかなか決まらなかった。逸る気持ちを抑えるように彼女はトレーニングに打ち込み、待ち続けること10カ月。ついに4度目のチャンスが舞い込む。
4月1日、日本女子フェザー級タイトルマッチが決定。
試合後、彼女の腰にベルトは巻かれているのか?
少なくともベルトの有無にかかわらず、「現役続行か? 引退か?」などと野暮なことは聞かないでほしい。その答えは試合後にプロテインを飲んだか確認すればわかる。
試合直後にプロテインを飲む理由を彼女は言う。
「試合が終わった瞬間、次の試合は始まっているから」
試合後のプロテイン、藤原茜にとって試合開始のゴングだ。
(文中敬称略/おわり)