「やむを得ない」のが本物だ①
明治大学教授 齋藤孝の文章を抜粋して紹介します。
【「やむを得ない」のが本物だ】
佐藤一斎「言志四録(げんししろく)」より
巳(や)むを得ざるに薄(せま)りて、しかる後に諸(これ)を外に発する者は花なり。
準備万端ととのって、やむにやまれなくなって、蕾を破って外に咲き出すのが花である。
能を大成した世阿弥の言葉に「秘すれば花なり、秘せずば花なるべからず」というものがあるが、そこでいう「花」とは、「その人が持っている良いもの」のこと。
佐藤一斎のいう「花」も意味するものは同じ。
それも、やむを得なくなって外に発したものこそが、その「花」だと言うのだから、「見て見て」とこれ見よがしに見せるのは「花」ではないという事になる。
日本人は花が好きで、良いものの比喩によく花を用いるが、実際の花も誰かに褒められたくて咲いている訳ではない。
時期が来た時に自然と咲く。
そんな花と同じ様に、人も無理に自分の良い部分を見せようとするのではなく、やむを得なくなった時に、つまり「自然の時期が来た時に、内側から満ちる様にして外に溢れ出る」のが、「その人の持つ本当の美しさ」である。
無理に自分の実力を人に見せつけようとすると、どうしてもわざとらしくなる。
人に見せようとするのは、人の評価を気にしているからである。だから、野の花の様に、人の評価を気にせず、もっと自分の中から満ち溢れてくるものを大切にした方がいい。
この時代の人は、「自然のものと自分の心を重ね合わせて表現する」という事をよくする。
それはやはり、当時の人の根本に自然原理を尊重する気持ちがあったからだと思う。
自然というのは、長い時間をかけて整えてきたバランスの世界。だから、そうした自然のバランスを人間界に応用すれば、人間も自ずと上手くいくはずだと考えたのだろう。
こういう「秘すれば花」っていう奥ゆかしくて日本人らしい美意識、なくなってしまいましたよね。今は何でもアピールせんと損、如何にパッケージを見映えさせるか?見せ方を工夫するか?になってしまった。こういう昔の感覚の方がカッコいいと思うんやけどなあ~。