他者の評価を恐れる人
自分で自分の意見や行動を決められない人がどんどん増えている様な感じがします。何処にいても、何をしていても、常に他者の視線が気になり、その評価に怯える人。
子供の頃から、比較と競争の中で育ってきた弊害なんでしょうけど、その偏った価値観から少し距離を取る必要がある気がします。競争が全て悪とは思わないけど、行き過ぎは問題が多いですよね。
「自分のやりたい事は自分で決める」「他人に何を言われようと、自分がやりたい事をする」。
他人に大きな迷惑をかけてしまう事はダメですけど、そうじゃなければ「まずは自分の意思で決める」という感覚は人間としての基本だと思うんですよね。
【他者の評価を恐れる人】
他者による評価を恐れる事になれば、生きる事が困難になってくる。何をする時にも、自分でどうしていいかを判断出来ず、絶えず、他者に判断を仰ぐようになるからである。
さらに問題なのが、他者の判断を仰ぐ理由が、物事を上手く運ぶ為ではなく、自分の決断によって事が上手く運ばなかった時に、それによって「自分の評価が落ちる事を恐れている」からという場合である。
例え間違っても、最終的に、知識を習得する、あるいは何かを達成するという事が大切なのであり、その事で他者からどんな評価を受けるかは、問題ではないはずなのに、本来、自分で決めるべき事、あるいは自分でしか決められない事までも、他者に判断を委ねてしまう事になる。
評価そのものに問題がある訳ではない。どんな事にも評価は付き物だから。評価を恐れては生きていく事が出来ない。
ここでいう評価は、「課題そのものに対して為される評価」である。人格に対するものではない。この点についての混同が、課題に取り組む勇気を挫く事になる。
この様に「評価される事を恐れる」のは、賞罰教育の所産なのである。親や教師は、子供・生徒を誉めてしまう。それは、今の話の流れで言えば、「他者からの賞賛を期待する様になる」事があるからだ。
残念ながら、皆が誉めてくれるとは限らない。こんなに頑張ったのに、なぜ誉めてくれないのか。そう思って、自分を誉めない人を責める事がある。
そして、誉められないのなら、適切な行動をする事を止めてしまおう、と考えてしまうのだ。
「アドラーから学ぶ」(岸見一郎著)より抜粋