魂の歓喜①
片岡鶴太郎さんの本を読みました。
自分がボクシングをするより前だと思うのですが、鶴太郎さんがボクシングに取り組んではる映像を見た時に物凄く心を打たれたのを覚えています。
芸能人がちょっと何かをかじってるのとか、僕はちょっと毛嫌いする方なのですが、鶴太郎さんがボクシングに取り組む姿からは違うものを感じたんですよね。
何か鬼気迫る、というか、ボクシングそのものが目的ではなくて、「ボクシングを通して自分がこの世で生きる意味を探していはる人なんやろうな」というのを感じました。
ご自身が求めるものは「魂の歓喜」であると述べられているのですが、僕が映像を見て感じたものは鶴太郎さんがそれをボクシングを通して真摯に求めようとする姿だったのだろうと思います。
以下、「50代から本気で遊べば人生は楽しくなる」(片岡鶴太郎著)より抜粋して紹介します。
はじめに
私は1954年生まれの62歳ですが、毎朝、起きるのが楽しみでしょうがありません。やりたい事があって、毎日時間が足りないと思うくらい。
私はもともと声帯模写(ものまね)をするお笑い芸人です。その後、プロボクサー、役者、書家、画家、ヨーギ(ヨーガをする人)といくつもの顔を持つ様になった。
まるで5人分、6人分の人生を楽しませて貰っているとも言える。
その時々の境遇に安住する事無く、新しい事にチャレンジしてきた結果、62歳になる今も「毎朝、起きるのが楽しみだ」と断言出来る人生を歩む事が出来ている。
新しい事にチャレンジするのはエネルギーが要るし、時には悩んだり苦しんだりする。でも、その先には大いなる「ギフト(贈り物)」が待っている。
その贈り物とは“魂の歓喜”です。”
誰もが心の中に、自分の魂を喚起させる“シード(種)“を育んでいる。
ただ、その存在に気付いていないだけ。あるいは気付こうとしていないだけ。
まずは自分の心に「私の魂は何をすれば喚起するのか」と問いかけてシードの存在に気付くこと。
そして、やりたい事のシードを見つけたら、毎日コツコツと水やりをしていくこと。
すると、やがて芽吹き、魂の歓喜がもたらされるようになる。
ちょっとした切っ掛けで始めた事が、人生最大の楽しみになる。
「本気で遊べば人生は楽しくなる」。
人間が生きている意味はここにあるんだろうと思います。
それは決して「楽をする」という意味ではなく、登山とかマラソンといったものでも肉体的な苦痛はあるかもしれないけど、でもそれをやって魂が喜ぶから人はやりたくなるんですよね。
身体的なラクさや快楽ではなく、魂が喜ぶ事を行っていれば、人は幸せ。それは他人から見てどうか?とか、どの様な評価が得られるか?とは、次元が異なる話。自分軸で生きるという事の最終形みたいなところなんだろうと思います。
「守破離」
そのために、まずは物真似をしてみては如何でしょうか?
勿論、誰か有名人の声帯模写をおすすめする訳ではない。
物事を始める、そして上達していくには、まず真似てみる事が大切だと言われる。芸事の世界でも、型を真似る事から始めるのが上達の第一歩となる。
それは「守破離」という子弟関係の基本を説く言葉にもある。
まずは師匠の方をとことん真似ます(守)。
真似るのが上達したら、「自分としてはこうしたい」と工夫しながら磨きをかけ、師匠の型を破る段階に発展する(破)。
さらにはその型から離れ、自分の独自性を発揮する境地に達する(離)。
「人生を愉快にするのは、物真似から」といっても過言ではない。
私自身、大好きな人達の声や姿を真似るうちに、役者として演じる事に繫がった。幼い頃から好きだった世界チャンピオンを真似るうちにボクシングのプロライセンスを取得。尊敬する画家の画を真似るうちに、今度は画に引き込まれていきました。
あくまでも「自分の魂が歓喜する事は何か」を問いながら、楽しく、自由に、心からやりたいと思う事をやる人生を歩んでいる。
自分の道を見つけたら、まずは「自分のモデル」となる人を探す。
そして、その人をひたすら真似る。技や動きといったものだけではなくて、その人の立ち居振る舞い、そしてそれを生み出す思考やクセまで含めた人間性すら真似ていく。
それをしている内に、「なぜ師はそういう言動をするのか?」が体で理解出来てくる。
一旦、自分を消す作業と言ってもいいのだと思う。その時間が、自分の「我=エゴ」を削り落とす時間となっている。
これが今の知識を切り取って教えるだけの学校教育では学べない所なんだと思う。師匠から「人間というもの」を学ぶ。漫才師や落語家でもそうだけど、芸能学校では学べないものがある。
我を削り落とした時、人は新しい目でこの世界を見る事が出来る様になっている。
昨日までとは違う、この世界。
他人の目から見たら同じだけれど、今の自分には全く違う新鮮な世界。
これを手に入れた時、人は他者との比較や競争では手に入れられない、「内なる幸せ」を手に入れるのだろうと思います。
続く → 魂の歓喜②