生き様を身体で表現する
今朝、選手に軸を通すトレーニングをした時、説明しながら色々と考えました。
「軸が通る」とか、「軸の通った人」とか、人や生き方を表す時にこういった表現をするけど、本来は文字通り、身体の状態を表す言葉ですよね。それが人間の生き方や人柄を表すものに転化したもの。「肚がある」とか「肚が無い」、「腹黒い」とかもそうだし、「肝が据わった」とか「息が掛かっている」とか、「地に足が着いている」等、日本語には身体の状態から精神や生き方を表す言葉になっていったものが多いですよね。
昔の人は、それぐらい体を使って、文字通り「体を張って」生きていたからだと思うんですが、そういった本来、人が持っていたはずの感覚や「重み・厚み」を伝えていきたいなと思っています。
今は、口先だけの頭デッカチな人間が多いですが、そういう薄っぺらい人間ではなくて、深みのある人間作りをしていきたいなあ~と思いますね。
武道やトレーニングは目的そのものではない。人として肝心なものを伝えるための手段に過ぎない。
舌先三寸で世の中を騙す様に渡る人間には魅力を感じない。
自分の生き様を体を通して表現できる。
それを「肝に銘じて」生きていきたいなと思います。
今、この文を書いてたら、頭の中で河島英五さんの「時代おくれ」が鳴り響いてきました(笑)
大好きなんですよね、あの歌。阿久悠さんのあの歌詞、表現力が凄いと思います。言葉に力がある、魂がこもってますよね