今を生き切れ!
素晴らしい内容ですね。
視点、意識。
色々、言い方はあるけど、「自分の目がどこを向いているのか?」「何に捉われているのか?」で人生は変わる。
そこに、いつ気付けるのか?なんですよね。
苦難や苦労そのものに意味があるわけではない。でも、人間て弱くて愚かな生き物だから、そういった苦を与えられないと、本当に大切なものになかなか気付けないもの。
●致知出版社の人間力メルマガより転載
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日々刻々と様変わりする国際情勢、
新型コロナウイルスの世界的蔓延など、いま私たちは出口の見えない危機、「死中」にあります。
出口の見えないトンネルの中でどう光を見出し、人生の力強い一歩を踏みだしていくか——。
重い病の絶望から立ち直った経験を持つ田坂広志さん(多摩大学大学院名誉教授)に、私たちに求められている「覚悟」について語っていただきました。
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〈田坂〉
いまから38年前、32歳のとき、私は重い病を患い、医者から「もう長くは生きられない」との宣告を受けました。
医者から見放され、自分の命が刻々失われていく恐怖と絶望の日々、両親は私に、ある禅寺に行くことを勧めました。
藁をも掴む思いで、その寺に行きましたが、そこには何かの不思議な治療法があるのではとの期待は、すぐに打ち砕かれました。
寺を訪れると農具を渡され、ただひたすら畑仕事で献労をすることが求められたのです。
明日の命も知れぬ自分が、なぜこんな農作業をやらなければならないのか。
そう思いながら鍬を振り下ろしていると、不意に横から「どんどん良くなる! どんどん良くなる!」と叫ぶ声が聞こえてきました。
見ると一人の男性が懸命に鍬を振り下ろしている。
しかし、その足は大きく腫れ上がり、
ひと目で腎臓を患っていることが分かりました。
休憩時間に声を掛けると、その男性は言いました。
「もう10年、病院を出たり入ったりですわ。一向に良くならんのです。
このままじゃ家族が駄目になる。自分で治すしかないんです!」
その覚悟の言葉が胸に突き刺さってきました。
そして、その瞬間、つの思いが湧き上がってきました。
「そうだ、自分で治すしかないんだ!」。
それまで自分は、医者が治してくれないか、この寺が何とかしてくれないかと、常に他者頼みであり、自分の中に眠る無限の生命力を信じていませんでした。それが最初の気づきでした。
それから数日後、山の中腹の畑を耕しに行くことになりました。
当番になった私が仲間に農具を配り終え、先に出発した仲間を追って山道を登り始めると、思わず言葉を失う光景を目にしました。
それは、足を患っている献労仲間の老女が、鍬を杖にして、山道を必死に登っていく姿でした。
農作業はおろか、歩くことすら困難なのに、不自由な足で、鍬にすがりながら、山道を登っている。
しかし、その後姿から、その老女の覚悟の声が聞こえてきました。
「たとえ畑に辿り着けなくとも良い!
私は全身全霊、この命を振り絞って登り続けます!」
私は思わず心の中で手を合わせ、「有り難うございます。大切なことを教えて頂きました」と念じながら、横を通り過ぎていきました。
その献労の日々を続け、寺の禅師との接見がかなったのは、ようやく9日目の夜でした。
長い廊下を渡って部屋に入り、一対一で向き合った禅師は、力に満ちた声で、私に聞きました。
「どうなさった」
「はい、実は……」
私は堰を切ったように苦しい胸の内を吐き出しました。重い病気を患っていること、医者からもう命は長くないと言われたこと、一縷の望みを抱いてこの寺へやってきたこと……。
禅師はきっと、何か励ます言葉をかけてくれるに違いない。そう期待しながら語りました。
私の話を聞き終えて、しばしの沈黙の後、禅師は言いました。
「そうか、もう命は長くないか」
「はい……」
その後、禅師は、腹に響く声で力強く、こう言ったのです。
「だがな、一つだけ言っておく。
人間、死ぬまで命はあるんだよ!」
一瞬、何を言われたのか理解できませんでした。当たり前のことを言われた気がした。
しかし、禅師は続けてもう一つ、力強く言葉を語ると、接見を終えました。
私は部屋を出て長い廊下を戻りながら、禅師の言葉を思い起こしました。
その瞬間、突如、気づいたのです。
そうだ、禅師の言う通りだ!
人間、死ぬまで命があるにも拘らず、
私は、もう死んでいた!
どうしてこんな病気になってしまったのかと「過去を悔いる」ことに延々と時間を使い、これからどうなるんだろうと「未来を憂うる」ことに延々と時間を使い、かけがえのない、いまを生きてはいなかった。
その瞬間、禅師が続けて語った言葉が、心に甦ってきたのです。
「過去は無い。
未来も無い。
有るのは、永遠に続く、いまだけだ。
いまを生きよ!
いまを生き切れ!」
この言葉が胸に突き刺さってきました。そして、このとき、私は、一つの覚悟を心に定めたのです。
「ああ、この病で、明日死のうが、明後日死のうが、もう構わない! それが天の定めなら仕方ない。しかし、過去を悔いること、未来を憂うることで、今日というかけがえのない一日を失うことは、絶対にしない!
今日という一日を、精一杯に生き切ろう!」
そして、そう覚悟を定めた瞬間、私は病を超えたのです。
もとより、奇跡のように病が治ったわけではない。
しかし、心が病に囚われなくなったのです。