「出し切る力」を高める
【出し切る力=発揮能力】
自分の武道修行のテーマでもあり、空手をずっと生涯の修行として続けている動機の一つでもあるのが、この為末さんの記事にある「保有能力を高める」×「発揮能力を高める」事です。
「保有能力は高い」のに、本番には弱いタイプがいます。稽古横綱とか呼ばれるタイプですね。持っている能力は高いけれど、「いざ、ここ!」という本番ではそれが出し切れない。
反対に、保有能力はそれ程でもなくても、いざという時に割とそれを出し切れるタイプ、あるいは「持っている能力以上ではないか?」という程の力を出してしまうタイプがいます。
長年、武道や格闘技の世界に身を置いていて、本当に沢山の選手の稽古や試合を観てきましたが、この差を沢山見る中でずっとこれを研究してきました。
自分がどちらのタイプなのか?を知る事は凄く大事で、これをしかしっかり理解していないと、人間って反対側の努力ばかりをやってしまうんですよね。
以下、為末大さんのFacebook記事より転載です。
本番で力を出し切ることが難しい最大の理由は「注意の扱いが難しくなるから」です。当たり前ですが、本番は普段と環境が違います。相手選手の意気込みも違えば、競技場も違いますし、観客も違います。そして何より自分自身の中での「重要度と希少性」が違います。この勝負はなかなかないものであり、結果が出るかどうかが人生の行く末に作用するという点が普段と違います。
30cm幅の線の上を歩くことは簡単にできますが、30cm幅の橋の上を歩くことは大変に緊張します。なぜなら重要度が違うからです。
希少で重要な場面では、「注意」が自分のコントロールから引き剥がされがちになります。
たかが数百人に見られる卒業式の舞台ですら動きがギクシャクします。これは重要度に加え、普段は注意すらしていない自分の歩き方に注意が向かった為です。うまくいかなかったらどうしようと未来に注意が向かうこともありますし、気になっていた技術に注意が向かうこともあります。そこに注意を向けたくて向けているのではなく、場に飲まれて注意が環境に翻弄されています。
「いまここ」から離れた注意はほぼ例外なくパフォーマンスに悪影響を及ぼします。
本番で力を出す鍵は「注意の扱い方を知ること」に尽きます。人間は自分の心に直接手を突っ込むことはできません。心は注意を向けたことに反応する「自動妄想装置」です。本番発揮率を高めるトレーニングとは注意の向け先を扱う練習とも言えます。
「自分のレースをしたい」「集中したい」と選手が話しますが、これらは全て注意の話です。注意を自分の側に置き続けたいという事実を言い換えたことに他なりません。
実はそのさらに先に注意自体が消えて無くなり、自分がただの器となって環境と一体となる世界があると考えています。これが熟達論で言及した「空」の世界ですがこれはまた別の話なので省きます。
本番に弱い人は、本番の緊張を嫌うのでそちらを避けて「実力をつけよう」とばかりします。
結果、「本番慣れ」しないのです。本番の緊張感、周囲の選手がみな強く見える。試合当日までの嫌な緊張感や試合当日での待ち時間の辛さといったものに慣れない。
だから稽古によって実力がついていても、本番では自己の心をコントロール出来ない。心がその状態であると、心の下にあるからだは全くコントロールが出来ない。
すると、「自分は本番に弱い」という思い込みが強化され、「それがコンプレックスとなる」ので、その結果「ますます本番を避ける」という悪循環を繰り返すのです。
反対に、「本番には強いけれど、日常の地道な稽古が嫌い、苦手」という人もまれにいます。
こういうタイプは、本番の緊張感は好きなので、結構なペースで試合に出たりするのですが、日々の地道な稽古では手を抜いたりしがちやったりするんですよね。「本番のヒリヒリする様な緊張感や短い時間の中で一瞬で能力を発揮する」のは好きだけれど、毎日毎日、地味な稽古を続けて、自分の弱い部分を見詰めるのは苦手」というタイプ。
こういう人は、最初の頃は調子がいいけれど、「徐々に地道な稽古を継続してきた、才能はそれ程ではなくてもコツコツ努力をしてきたタイプ」にある時点で追い抜かれたりします。
そういう現象を沢山見てきましたが、自分が見下げていた人間に負けたショックは大きくて、「格下の人間に抜かれた」とプライドが傷ついてしまい、いきなり競技を止めてしまったり、あるいは辞めなくとも距離をおいてしまったりします。
両者 共に「自分が避けているものを見る」という行為は、物凄く自分にとって辛い事であり、特にプライドが高い人にとっては「痛みを伴う行為」となります。でも、本当に自分を向上させよう、そして幸せになろうとするなら、避けては通れない道。
この部分を深く理解すると、まさに昔から言われる「己を知る」ための努力ですが、選手でいえば強くなるし、選手ではない人ても、強く立派な、深みのある人間になれるんですよね。