幸福というのは、後から思うもの
とても考えさせられる動画でした。
「幸福になりたい」というのは自分のエゴ。
だから、そう強く思っている限りはそのエゴによって幸せにはなれない。
自分の事など忘れて、誰かのため社会のためになりふり構わず自分お命を使い切った時、そんな様子を他者が見て「あの人は幸せな人生を送った人だ」と評するもの。
車やバイクに例えるなら、それを事故や故障、汚れるのを嫌がって、一切走らせずに大事に車庫に保管している様なもので、多くの人は自分の肉体をそういう風に「大事に保存」しようとしている。
しかし、そんな事を、車もバイクも肉体も望んではいない。この身をボロボロになるまで使い切りたい。そして、納得して死にたい、と思っているもの。
子供の頃、「あしたのジョー」の「燃え尽きたよ」のセリフによくその真意も分からないまま感動していましたが、ああいう生き方こそが本当の幸せなんでしょうね。
それが現代の日本人は、「なるべくラクをして、出来るならちょっとサボってズルをして、美味しい物を食べて、癒しのある暮らしをしたい」と思っている。
「そこに人間として真の幸せはあるんか?」っていう話ですよね、何かのCMじゃないけど。
若い頃は、そのエネルギーを自分お修行に使い、後半は他者や世間のために使う。それが真の幸せになる道なのだと思う。そして、後になって振り返った時に、「ああ、あの時が幸せやったなあ」と感じる。あるいは、誰か第三者がその人を客観的に見た時に、「あの人は自分の人生を生き切った素晴らしい人物だ」と評価したりする。
本人は、その渦中はただひたすら無我夢中で必死で努力し、苦しんでいた時こそが、後に幸せと思えたりする。後で思い返して幸せだったなあと思うものなんですよね。
修行時代の苦しかった毎日を思い返しながら、あの頃の幸せを感じると共に、今の日々も後に同じ様に感じられる様に充実した苦しみを得て行かんとなあ~と思いました。