自分の芯をつくる

一昔前は有名な話でしたが、今ではこういった猛稽古のエピソードは時代錯誤の様に受け取られる時代になり、あまり語られなくなったなあと思います。僕が子供の頃は、学校の先生や周囲の大人も、見習うべき見本として、こういう方の話はよく語ってました。

でも本来は、「誰もが何かの分野でプロ」なわけですから、こういう気構えを持って生きんとアカンわけですよね。

国民みんながこういう気概を持っていたら、世の中は凄く良くなっていくと思う。戦後の復興を成し遂げた時は、日本人みんながこういう気持ちで生きていたと思うんですよね。焼夷弾や原爆であれだけメチャクチャにされた状態から、一気に復興させるだけの力を日本人は持っていたわけですから、今、この時代にだって本気になれたらやれるはずだと思います。

以下、致知出版社の人間力メルマガより転載

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このほど文化勲章を受章された、福岡ソフトバンクホークス球団会長の王貞治氏。王氏は、いかなる練習を積み重ねて、偉大な記録を打ち立てたのか。

『致知』2024年10月号にご登場いただいた際の記事の一部をご紹介いたします。

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荒川博さんがジャイアンツのコーチに入ってこられたのは、入団三年目のシーズンが終わった時でした。それまでの私は思うように打てないと面白くないから、ついつい銀座に行って遊んでいましてね。

練習もそれなりにやっていましたが、最低限の決められた時間しかしていませんでした。

だから、荒川さんがコーチについていなかったら、どうなっていたかと恐ろしくなります。

マンツーマンで練習するようになって、それまでの自分がいかに生半可だったか、何も練習していないに等しかったかに気づかされました。

荒川さんとの練習が始まるのは、全体練習や試合が終わった夜九時頃。

他の選手は皆、十時前には帰ってしまう。でも、荒川さんにとって時間や回数は関係ないんです。荒川さんが「よし」と言わない限り、練習は終わらない。

だからと言って、「よし」と言ってもらおうと思ってスイングしてもダメなわけです。だから、本当に真剣にやっていくしかない。

練習が終わるのはいつも十二時を過ぎていました。試合前も荒川さんの家に行って特訓を受ける。

人間扱いされていない、とにかくむちゃくちゃに厳しい練習でした。

何時間でも、何百本でも、できるまで素振りをする。

合気道の寒稽古に行ったり、天井から吊り下げた糸の先につけた紙を

日本刀で切る練習をしたりしながら、一本足打法を習得していきました。

でも、プロというのはそれくらいやらなきゃならない世界なんですね。

普通の練習しかしていないから、普通の選手にしかならなかったんですけど、荒川さんのおかげで目覚めさせていただき、徹底的に鍛えられたことで私の人生はガラッと変わりました。

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