真に偉い人
自惚れるのは、世間知らずであるからである。神を知らぬ間ほど、礼拝などという事をバカげた事だと思っているが、神を認める度が深くなるほど、祈りと礼拝が真剣になる。
世間が分かれば分かるほど、自分が小さく見え出して来るものである。従って、世間を知らねば、自分を知る事も出来るものではない。神を認めれば認めるほど、人は謙遜に従順に感謝深くなって来るものである。
上手く俗衆に投ずる事さえ出来れば、一時は、ある程度の人達をヤンヤと言わせる事も出来るけれども、大局から見ればバカげきった事である。書画が上手だとか、哲学や科学の述語を並べるとか、その他色んな専門語を秩序よく織り込む事とかいう類の、浮世の技能に優れているという事は、結構な事であるが、これをもって、自分は偉いと考えるのは大きな誤りだ。
真に偉い人は、かかる特殊な人間的技能に秀でていなくてもよい。ただ、何となく、人を魅(み)する人でありさえしたらよい。すなわち、霊魂に力のある人であったらよい。
出口 日出麿(ひでまる)
小賢しい人間ではなく、こういう人間になりたいなあ、と思います。
河島英五さんの歌、「時代遅れ」みたいな感じの人。