自分の魂を喜ばせる事が出来るのは自分だけ
考えさせられる記事でした。
人が心の底から幸せを感じられないのは、主体性が欠けているから。
誰かの、あるいは社会の価値観に合わせて生きているから。
他人がどう感じようが、人は自分が本当にやりたい事、興味を感じる事をやる事でしか、真の幸せを感じる事は出来ない。
他人軸で生きていて、それが他人から見てどれだけ上手くいっていても、自分軸が欠けている限りは本当に納得のいく人生は送れない。
インスタやFacebookで幸せアピールをし、いくら「イイね」を貰った所で、自分の魂は満たされない。
それは他人や社会の価値観に依存しているだけだからなんですよね。
他人からは全く評価されなくても、自分の魂が本当に喜ぶ事をする。そうすれば、いま、この瞬間から人は幸せを感じる事が出来る。
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「何かに依存し切るのではなく、主体的になる」
現代日本はラクに手に入る快楽がとても多い。
数百円で誰もが旨いと思えるようなモノを食べられて、インターネット上には無料で上質なコンテンツが溢れまくっている。
そういうものをみて「傷ついてボロボロになるぐらいなら、もうこれぐらいで自分の人生は十分だ」と、低い目標にすがりつきたくなる気持ちはわからないでもない。
しかし実際に困難を乗り越えて良きものを獲得してみると、人生は瞬く間に別のステージへと突入する。こうなると人生は本当の意味で自由になり、他人に依存する人生から主体的な人生へと変貌を遂げる。
僕が思うに多くの人は人生を他人に依存しすぎている。
例えば誰かから嫌になる事を昼に言われたとしよう。それで不快な思いに一時的に陥るのは仕方がないが、それをずっと気にして夜も落ち込み続けていたとしたら、それは完全に自分で選んだ結果である。
それまでの人生で良いことも悪いことも色々あったのに、あえて落ち込むような事を考え続けるのは自分でそう選んだ選択に他ならない。
だから「アイツのせいでイライラする」と他責的な思考になるのではなく、「そういえば去年いった北海道旅行は楽しかったな」と主体的に思考を動かせば、現実は万華鏡のように見える姿を変える。
現実は多様であり、自分自身もまた多様である。
多様な人生において、何を選ぶかは全て本当なら自分の意志で決められるのだが、多くの人は世間や他人に”決められた”モノをみて生きてしまっている。