型破り

Facebookでコメントのやり取りをしている中で、型とか躾について考えていたのですが、昔こうした事を知って、凄く感動した事があります。

確か、立川談志さんのエピソードか何かやったと思うのですが、僕は関西なので上方落語や漫才で育っているので、談志さんってあんまり知らないんですけど、凄く個性がキツくて、落語協会を飛び出した位の方なんですよね。

しかし、その方が、「型の大切さ」を語っておられるお話で、なるほど~と思ったんですよね。

自由に振る舞う前に、人は「型」をきちんと身に付ける必要がある。それが無いヤツは、絶対に伸びないんだ!という様な事を語っておられたのです。

落後やお笑いに限らず、どんなジャンルでも言えると思うんですが、「型」、それを躾といってもいいと思うんですけど、それがあってこその自由やと思うんですよね。

「型がちゃんと身に付いている人」は、その後、どれだけ自由奔放に振る舞っていても、その行動の中に「型の中身=核とかエッセンスみたいなもの」が生きていて、「動きや生き方がカッコよく決まる」もの。

反対に、「型が身に付いていない人は、けじめ・締まりがなく、だらしない生き方になる」ものだと思います。

そういうのを昔は「型なし」と呼んでバカにし、型がしっかり身に付いた人の自由な振る舞いを「型破り」と呼んで称賛していたんだ、という内容をおっしゃっていました。

「型という縛り」があってこそ、型を破る事が出来る。

そのためには、幼い頃、若い頃に、一度自分をしっかりと型にはめなければならない。

昔の日本人って本当に賢いなあと思います。

それに比べて、今の日本人は残念ながら「型なし」の「腑抜け」になってしまいましたね・・・。

極真空手「転掌」の型。

この型、カッコ良くて一番好きでした。

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