命の声
FBFから紹介して貰った動画です。
とても良かったです。
安楽死の善悪を問う前に「命の声」を無視しないこと
これを見ていて、昔、読んだ本で感動したエピソードを思い出しました。
人生で行き詰り自殺を決意した人が、ふと自分の爪を見て、「あ、爪が伸びてる。自殺しようと自分は思っているのに、爪は伸びてるんだな」と思ったそうです。
その瞬間、「ああ、体は生きたがっているんだ。それなのに、今、自分は自分を殺そうとしている!」と気付いて、自殺を思いとどまった、というお話でした。
凄く感動したのを覚えています。
「心=エゴ」が絶望し、死にたがっているその時も、体と魂は生きたいと願っている。
人間は自分の意思では死ねないもの。
「自死」というのは出来ない。
自死というものが可能なら、自分の意思で呼吸を止めて、静かに死ねるはず。(僕は魂は生き通しだと思っているのですが)
「生きようとしている肉体の命」をエゴによって殺すから、「自殺」なのだと思います。
昔の人は、人は「自分で死ぬ」事は出来ないとよく分かっていて、「自分を殺す」から、自殺と表現したのだと思うんですよね。
どうしようもない苦しみの中にいる人にまで自殺を絶対に否定する気持ちはないけれど、その時は「自分を殺すんだ」という明確な意思を持っているべきなのではないか、と思います。
生きている肉体を自らの意思で殺す。
「それでも死にたいのだ」という強い想いがあるのなら仕方がないのかな、と思います。
自死という言葉はどこか誤魔化しみたいなものを感じるんですよね。
命は自分のものではない、宇宙が与えてくれたものなのだ、という感謝の気持ちは持っていたいと思っています。