その時の気分でコロコロと変わる「心」ではなく、不動の「精神」を作る。
かつての日本人の穏やかでしなやか、そして強かった精神を取り戻したいもの。
「教養がある人」と「ない人」を分ける学び方の違いとは?情報や知識ばかり求める人の末路より以下転載
精神文化の柱をつくる
ここであらためて、教養人とはどういう人なのかを明確にしておきましょう。
というのも近年、情報・知識を豊富に有している人が教養人であるかのように、考え違いをするきらいがあるからです。
情報社会がとてつもないスピードで進展したことを背景に、大量の情報を武器にビジネス界で成功する人に対する評価が高くなったせいかもしれません。
しかし明言します。いくら大量の情報を持っていても、またいかに豊富な知識を蓄えていても、その人を教養人とは呼びません。
彼らはしいて言うなら、前者が情報通、後者が知識人であって、教養人とはまったくの“別もの”なのです。
何も教養が情報・知識より上だと言いたいのではありません。情報・知識があるからこそ正しい判断をし、間違わずに行動できます。仕事を効率よく進めたり、より高い成果を上げたりするのに、利用価値の高いものでもあります。ただ「教養とは本質的に違うものですよ」ということを明確にしておきたいのです。
では「教養を身につける」とはどういうことか。一言で言えばそれは、
「自分の心に精神文化の柱となるものをつくること」──。
少しわかりにくいでしょうか。「精神文化」をもっと噛み砕いて説明しましょう。
私たちがいま受け取っている教養は、元を正せば、古今東西の叡知あふれる誰かがとことん深く掘り下げて探究した、あるいはより高みを目指して挑戦して得られたものです。
長い歴史のなかで、数え切れないほど多くの叡知あふれる誰かが教養を紡いできました。
その結果、先人たちが「未来への遺産」として累積・形成してきた教養が、いまに継承されている「精神文化」なのです。
教養を身につけるとはつまり、有史以来蓄積・継承されてきた「精神文化」を受け取り、自分の精神生活を豊かにするための柱としていくことなのです。
50代のみなさんは、これから少しずつ仕事の最前線から離れていきます。もう仕事で結果を出すために、また競争を勝ち抜くために、シャワーを浴びるように情報を集めたり、分析したりする必要もなくなります。
そのかわり、と言っては何ですが、人生の軸足を情報から教養に置きかえるのがいい。そうしてさまざまな分野の教養に触れて、人間性や知性を磨き、高めることに喜びを見出す。それこそが50代以降の人生にふさわしい、豊かな営みというものでしょう。
「継承」という視点を持つ
50代くらいになると、「継承」という言葉を身近に感じられるのではないかと思います。
たとえば仕事では、リタイアのXデーが近づくにつれて、自分がこれまで積み上げてきた知識・スキルを後進に継承しようと考えるようになります。
50年以上生きてきた経験があればこそ備わった知恵や、蓄えてきた財産を次世代に継承することを意識するようになるでしょう。
実生活ではそういう渡す役回りになりますが、それだけでは何となく寂しい。自分の大切なものがどんどん奪われていくようで、複雑な気持ちになるかもしれません。
しかし学び直しをすると、逆に、偉大なる叡知を受け継ぐ側の人間になれます。新たに教養という名の財産を築いていくことができるのです。これから学び直しをするにあたっては、ぜひ「継承」という視点を持ってください。
では、継承はどのように行われるのか。
たとえば福沢諭吉の場合、かなりの高齢になるまで、居合を日課にしていたそうです。かねて立身新流(たつみしんりゅう)の居合をたしなんでおり、『福翁自伝』にも「ずいぶん好きであった」という記述が見られます。
何でも明治の半ばを過ぎ、60歳に届くかという年齢のときに、いわゆる過酷な千本抜を3回ほど行ったそうです。文明開化を説くような先進的な人物だった福沢が、武士の時代を引きずっていたのかと驚く人もいるかもしれませんね。
けれども、それは早計というもの。おそらく福沢は居合を通して、精神文化・身体文化の継承を行っていたのだと思います。これはとりもなおさず、福沢が自らのアイデンティティは武士の精神・身体にあると自認していたことの表れでしょう。
西洋文明を積極的に取り入れる一方で、日本人たる武士の魂を継承していく。そんな福沢の精神世界が垣間見えるようです。
ほかに日本文化なら、たとえば「お茶を習うときは、千利休の精神文化・身体文化を継承することを意識する」「能を学ぶときは、観阿弥・世阿弥の精神文化・身体文化を継承することを意識する」といった具合。
精神文化・身体文化の継承者たる自覚をもって学び直しをすると、背筋が伸びるようで、じつに気分のいいものです。
もちろん精神文化・身体文化を継承するのに国境はありません。たとえばゴッホの絵と人生に触れて自身の生きる情熱に火をつける。ブッダの教えを読んで事あるごとに「ブッダならこう考えるよね。こうするよね」と自分と重ね合わせて行動する。プラトンの著作からソクラテスの人間性を少しでも身につける努力をする。対象が何であれ、そういった学び直しをすることが、精神文化・身体文化を継承することなのです。
大事なのは、いろんなジャンルの教養を学び直す過程で、「継承」の視点を持って、いくつかの精神文化の柱をつくっていくこと。50代以降の「学び直し人生」で目指すべきは、
「私の精神世界はこのような文化でできています」
と言える境地に達することであると、私は思います。