自分の可能性

自分の中にある可能性は、やってみないと分からない。
野村克也

やっていないのに自分で勝手に諦めるっていうのは、勿体無いですよね。
あれだけの大記録を打ち立てた野村監督ですが、プロ入りはスカウトされた訳ではなく、テストを受けて。
それもたまたまスポーツ新聞に載っていた南海ホークスのテストの記事を見かけたから。
いっぺん試しに受けてみようと思い、野球部の顧問の先生に相談すると、「お前なら何とかなるかもしれんぞ」と励まされて、受験したのだそうです。京都府北部の丹後半島にある網野町から大阪までは遠くて、その交通費も無かったからその先生に出して貰って受けに行ったそう。

テストでは、遠投が全くダメで一投目がバツ、二投目の時に「もう無理かな~?」と半ば諦めていたら、何と投げる位置をチェックしている人がさりげなく近付いてきて「おい、お前もっと前行って投げてええぞ」と言ってくれて、ラインよりだいぶ前から投げてテストに通ったそうです。
選手としても、指導者としても、偉大な記録を残した人が、スタートの時にはそうだったというのは、凄く考えさせられます。

そして、入団出来た本当の理由は、ピッチャーの「カベ」要員だったというのです。カベとは、ピッチャーが投げる球をまさに「壁」代わりに、受けるためだけの人間。別に能力は期待されておらず、二、三年で使い捨て」の予定で採用されていただけ。だから、都会育ちではなく、「田舎育ちのスレていない」選手だけを球団は採用していたそう。これを知った時は、本当にショックを受けたとおっしゃっています。

辞めたくなったけれど、極貧の中で、育ててくれたお母さんに「恩返しがしたい」という一念で、必死で頑張ったそうです。

でも、そのお蔭で野村監督は南海ホークスに入団し、肩が弱くて才能がないと言われながらも「お母さんへの恩返し」という」目標があったからこそ、諦めずにすんだ。何不自由なく野球をやれる環境で育っていたら、諦めていただろうと語っておられます。


もしこれらの要素の一つでも欠けていたら、あの大選手は生まれず、あの大監督は生まれず、古田選手達ヤクルトの大活躍はなく、大リーグで活躍し、つい:最近日本に帰ってきた田中投手の現在も無かったのかもしれない。
そう考えると、その時その時、自分が思う事、人に話す事、行動する事、というのはとてつもなく大きくて、そして他者の人生への責任もあるものなんだなと思います。
人間の人生って、色々なものが複雑に絡まり合っているんですね。

野村監督とお母さん

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