【共感障害―若者たちに密かに起こっていること―⑥】

「進化とみるか、憂いとすべきか

」脳の共鳴体験の少なさ、ひいては共感力の低さ。それが、SNSやゲームに起因するのだとしたら、「反応の薄い若者」の急増もさもありなん。そして、さらに数が増えていく事になる。

私は、実のところ、「反応の薄い人類」について、是非する気はない。それが社会の趨勢というのなら、社会全体が低めの共感力に慣れてくるだろう。やがて、それは標準になり、私達の世代は「頷き過ぎて、ウザイ」世代になっていくのかもしれない。

とはいえ。先日、あるベテラン助産師さんからメールを頂いた。

赤ちゃんがお母さんの眼をじっと見つめ、時々微笑みながら美味しそうに母乳を飲んでいる姿は、傍で見ている私達の心も癒してくれます。けれども、数年前から当院にお見えになる方々の様子を見ていると、「お母さんと赤ちゃんの目と目が合わない」方が増えた様に思い、気になっておりました。お母さんと赤ちゃんが、それぞれ別の所を見ながら授乳している姿は、何とも寂しいものです。私が助産院を開設した頃(三十数年前)には見掛けなかった光景です。

その文章を読んで、小学校の先生や、若手社員に困惑する上司達の悩みの根源を見た様な気がした。そして、それを社会の趨勢とは言っていられないという気持ちも湧き上がってきた。

科学技術の発達は、時に思いもよらないものを人類から奪ってしまう。

もっともっと、家族は見つめ合おう、友達は触れ合おう。ミラーニューロンを捨てるな、である。

黒川伊保子(脳科学・人工知能研究者)

人は何かを得る事で何かを失ってしまう。便利になる事で、人類は昔は持っていた様々な能力を失ってきてしまった。ほんの少し前、戦前と比べても、現代人は体力、特に防衛体力に入る自律神経系統、免疫が弱くなってしまっています。スポーツをやっている人でも、アウターマッスルはしっかり鍛えているし、心肺機能も鍛えているけれど、インナーマッスルが上手く使えないから、ケガや故障が多い。

昔は小さい頃から、体を使った遊びや親のお手伝いをする中で、知らず知らず身に付けていた身体運用法、肚や骨盤の用い方、全身を上手く連動っせるコツを身に付けていたけれど、現代はそこを飛ばして、いきなり競技を始めてしまう。

どうしても競技というものは、目的が「勝つ」という事に繫がりがちだから、即効性のあるトレーニングを求めてしまう。

それが呼び込む結果が分かっていて、その選択をしているならいいけれど、知らずに選んでいるとしたら、これ程怖いものはないと思います。現在のコロナ禍でも、健康面、経済面で人類は色々な選択をしている中で、思わぬものを失っているのかもしれない、という視点は持っていなければならないのだろうなと感じています。

脳の機能と一緒で、「後からは取り返しがつかないもの」もあると思うのです。

おしまい

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