典座教訓(てんぞきょうくん)
昔、書いてたブログより転載
こういう話、大好きです^_^
心は直接磨けない。何事かを通して磨くしかないのだ。
以下明治大学教授 齋藤孝さんの著書より抜粋。
「心を磨く」
米をとぐには、まず米を見て、そこに砂が混ざっていないかどうかを見、砂を見て捨てようとして、そこに米が混ざっていないかどうかを、心を行き届かせてよく見る。
「典座教訓(てんぞきょうくん)」(道元の著書。このような調理時の注意まで事細かに書かれている)
典座(てんぞ)とは禅寺における食事係を指す。仏道にとって大切な修行なのだ。己を磨くために全身全霊を打ち込んで行う行なのだ。
道元が宗に留学中、腰の曲がった老僧が瓦が焼けつくような暑さの中で椎茸を干していた。道元がどうして「他の者にやらせないのですか?」と尋ねるとこう答えた。
「人にやってもらったのでは、自分の修行にならない」
その時 道元は、典座というものがどれほど重要な修行なのかを悟ったという。
加えて、道元は「赴粥飯法(ふしゅくはんぽう)」という、食事作法を事細かに定めた書も著している。
このように日本の文化は、日常生活のなかで、いかに心を培うかに心をくだいてきた。自分に対する他者からの評価が低くても、給料が安くても、異性にもてなくても、あるいは、心を締めつけてくるようなストレスを受けても、自分なりに整理して、一歩一歩努力してゆく構え。そういう構えを、このようにして日常生活の中で努力して作り上げてきた。いざとなった時にも、ぶれない心を、社会全体で作り上げてきたのだ。