発育する“氣”を感じる

これ、自分で畑をやり始めて(まだズブの素人ですが・・・)、ちょっと分かるなあ~と思います。芽吹いたり、雑草の生命力から、自分の生き方に通ずる何かを教えられている様な気がします。自然と同調して、共に生きていた昔の人にとっては、本当に当たり前の感覚やったんでしょうね~。

自然の生命力から学ぶ
 
草木を培植して、以て元気機緘(かん)の妙を観る。何事か学に非ざらむ。 (佐藤一斎)

 
草木を培養して、その生々発育する気運の微妙を観察すると大いに得るところがある。(志さえあれば)何事でも収容の資料になるものだ。
 
草木を育てる事で「発育する気」を見る。それも学ぶ事であると言う。
「発育する気」というと何やら難しそうだが、これが志を持った人が、植物の様に発育する生き物の姿を観察していると、そういう微妙な変化の中に学ぶものがあるということ。
 
若い内は少ないかもそれないが、歳を取ってからガーデニングや庭いじり、盆栽などを始める人は沢山いる。それは気晴らしと言う事もあるだろうが、対象が日々成長していく姿に、他の趣味では感じられない「生命力を受け取る」事が出来るから、というのが大きな理由だろう。
植物を育てる事は、人類共通の趣味と言ってもいいが、やはり人には草花を育てたい、それが生長し、花が開くのを見たいという気持ちが備わっているのではないか。
農耕民族である日本人ならなおさらのこと。
そして、そういうものを見たいと思うのは、見る事によって、「こんな風に生きていくのが自然な在り方なのだ」と、その草花に教えられるからなのだと思う。
 
植物の生長という現象の中に、生命の本質を見ている。それはまさに、その変化の精妙さに学ぶという事なのだ。
 
齋藤孝(明治大学教授)

自然の中で作業する。それだけで、様々な植物や生き物たちから「氣」を貰っている様な気がします。

体は疲れるけれど、心は元気になる。

自然の氣と、自分の氣が交流しているんでしょうね。

何となく、心が軽やかになる様な、そんな感じがしています。

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