脳を操れるが故、人間の苦悩は生まれる⑦

続きです。いよいよ最後。


 
「人生は何回燃え尽きてもいい」
 
増田明美さんは、その弁舌や書かれたものを見ると、有能な人である。生を受けてこの世を生きる以上、自己実現は当然の事である。これは帰結するところ、「目立ちたい、高く評価されたい」という事に通ずる。
誰しもが、自らを惨めな存在に置いておいていいとは思っていない。高く評価されたいというのは、正当かつ自然の心理である。
 
感情の起伏が激しく、頻繁に落ち込むという性格は、物を書いたり演じたりするには、必要な性格である。増田選手は「走る」事においては、一応「燃え尽きた」のである。
しかし、「人生において燃え尽きた」のではない。
 
本当に燃え尽きたのなら、円谷幸吉選手の様に自殺するほかない。人生は何回も、これと思った事をし尽して燃え尽きたらいいのである。そして、次の生きる道を探して、執拗に生きていくべきだと思う。
そういう精神の訓練が私のいうメンタル・トレーニングである。
 
スポーツは体力的なものであるから、当然、限界がある。花の命の様に短いものであるから、必ず散る。
 
問題は散った後の長い人生を如何に生きるか、である。
増田選手はマルチタレント・増田明美として鮮やかな転身を見せ、人生を燃焼させようとしているのである。
 
おしまい

人は大きな壁に当たって初めて、自分の性格における問題に気付くし、そこで思い悩むから、それまで見る事を避けてきた「自分の内側にある見たくない部分、とても醜い弱い部分を見つめる」のだと思う。そうして、自己の内面としっかりと対峙した人だけが次の段階に進めるのではないかと思う。

それを済ませた人は、何かが変わる。

自分を必要以上によく見せようとしたり、誇張したり、強がったりといった事を必要としなくなる。

そうなった時、人は自分の一生いるべき居場所みたいなものに巡り合う様な気がします。何か大いなる存在が、そこへと導いてくれるのだろうと思うんですよね。

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