イジメは人間の脳に組み込まれたシステム
脳科学者の中野信子さんの本はよく読むのですが、その中でもなかなか感がさせられた本を紹介します。数年前に読んだものですが、今も時々引っ張り出して読んでは考えこんでしまう、とても良い本です。
「イジメはダメ」とか「相手を思いやりなさい」とか教えたって、脳にとっては全くのムダなのだというのは、知っておくべきやと思いますね。ま全くのムダは言い過ぎかもしれないけど、脳のシステムをしっかりと理解しておく事は、教育に限らず人生を上手に生きていく上で必要な事だと思うんですよね。
以下、「イジメたいという人間の脳の仕組みから目を背けない」という事を述べておられる部分から抜粋です。人間の脳の構造、「人間という生物が進化し、生き残るためみに必要とされた機能がいじめを引き起こしてしまう」、それをきちんと認識しておく事が大切だという事が分かりやすく書いてあります。
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教育の現場で、子供達と対峙する学校関係者の中で「いじめは根絶できる」と自信言を持って言える人はどれくらいいるのだろう、と疑問を持つ事がある。
もしかしたら、「いじめを根絶しよう」という目標そのものが、問題への道を複雑にしているのではないか。「いじめは『あってはならない』ものだ」と考える事が、その問題から目を反らす原因になってしまっているのではないか。
いじめの現状対策に違和感や矛盾を感じているのは、恐らく私だけではないだろう。
「いじめを許さない学校」をスローガンに揚げつつ、学校や教育委員会では、重大ないじめが起こっても、被害者の気持ちに寄り添うどころか、なかなかいじめを認知できない。被害者が自殺という最悪の結末を選んでしまっても、加害者グループは反省するどころか、堂々と学校生活を送り、次のいじめの対象となる児童・生徒を探して再びいじめが起こってしまい、その流れは止まる事がない・・・。
皆さんの周りではどうでしょうか。
いじめは子供の世界だけではなく、大人の世界にもある。そして時代や国を問わずどこにでも存在する。
近年、こうした人間集団における複雑かつ不可解な行動を、科学の視点で解き明かそうとする研究が進められている。
その中で分かってきた事は、実は社会的排除は、人間という生物種が、生存率を高めるために進化の過程で身に付けた「機能」なのではないか、という事である。人間社会において、どんな集団においても、排除行動や制裁行動が無くならないのは、そこに何かしらの必要性や快感があるから、という事だ。
本気でいじめを防止しようと考えるのであれば、「いじめが止まないのは、いじめが『やめられないほど楽しい』ものだからなのではないか」という、考えたくもないような可能性をあえて吟味してみる必要があるのではないか。
いじめを回避するために「相手の気持ちを考える」「相手の立場になって考える」といった指導では不十分であった事は、指摘するまでもないだろう。
これは、いくら「相手の気持ちを考えましょう」と諭したところで、子供の脳は「共感」の機能が未発達であるからだ。「共感」の機能はじっくり育てていく事が大切だが、いじめを回避したい場合には間に合わない。
とくに子供時代は、「誰かをいじめると楽しい」という脳内麻薬に対して、共感というブレーキは働かない。だから、これを止めるには「自分が相手を攻撃すると、自分が損をする」というシステムが必要とされる。
しかし、現状の学校現場では、誰も見ていない所で相手を攻撃すれば自分が損する事はない。つまり、「賢く相手を攻撃したもの勝ち」という構造が出来上がってしまっているのだ。
中野信子(脳科学者)
人間には、努力で出来る事と出来ない事がある。空を飛ぶとかみたいなもので、その快楽には抵抗出来ない、というものがある。ならば、それを理解した上で、自分の生活の中に「そのやりたくない事を上手く避けられるシステム」を予め作っておく事は必要やと思うんですよね。努力や意志の力がいちいち必要というのは、大変だし労力がかかってしょうがない。
イジメや、分断・分裂というのは、人間が群れを作って生きて来た動物である以上、必要だから脳に組み込まれたシステムであり、その機能を排除する事は出来ない。それは人類の体の進化を否定する事になる。
そうではなく、そういう人間の脳の特性を受け入れた上で、どうやって上手く世の中を運営していくのか?を考える必要があるのではないか?
そういう提案をする教育関係者って本当にいませんよね。人間があるべき、理想像をただひたすら子供に押し付ける。大人である、自分達教師や、教育関係者がイジメやパワハラやらいっぱいやってるクセにって話ですよね。
人間を理想化しない。いい部分も悪い部分もあって当然というか、必要だから神様が与えたものであり、善悪で考えるものではなく、それは特性なのだ。そう考えると、手の打ちようが色々と出て来るように思います。
人はイジメが楽しいし、嫌いな相手をイジメると気持ちいいからイジメている。この人間に組み込まれた残酷な特性をきちんと理解しようとしない人間は、教育に関わるべきではないと思うんですよね。