「自分の特性」を活かすには?
鈴木秀子さんの著書より抜粋して紹介します。
「自分の“ひび割れ”を愛す」
インドに「ひび割れた水瓶の話」が伝わっている。
毎日、川から水を汲んで、高い丘の上にある御主人さまの家まで運ぶ仕事をしている水汲みの男性がいた。彼は竿を担ぎ、右と左の両端に一つずつ水瓶をぶら下げていた。
しかし、片方の水瓶にはヒビが入っていて、家に着く頃には、水が半分ほどに減ってしまっていた。
ある時、ヒビに入った水瓶は言った。
「私は役立たずだ。私のせいであなたの努力が報われない」
すると男は言った。
「見てごらん。いつも通る道のどちらに花が咲いているだろう」
そこには、ひび割れの水瓶が通った側にだけ、美しい花が一本の道の様に咲いていた。ひび割れの水瓶は、満杯の水を運ぶ事は出来なくても、知らない間に乾いた土の上に美しい花を咲かせていたのだ。
私達は、それぞれ「自分だけのひび割れ」を持っている。
私達は、皆、ひび割れに入った水瓶なのだ。
あなたはあなたのままでいい。
「あなたのままで居なくてはいけない」のだ。
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とても素晴らしい話ですよね。
でも、なぜかこういういい話を自分の都合のいい様に捻じ曲げて受け取ってしまう、すごく自分に甘い人が居たりする。それはスピ系の人に多かったりするけど、こういう話って「如何にバランスよく、宇宙全体から見て受け取れるか?がその人の器なんですよ」っていう話やと思うんですよね。
自分の長所と短所は同じもの。それはいい悪いではなく、単なる特性であって、「それをどう出すか?表現するか?」によって、同じ特徴が、武器や魅力ともなれば、欠点ともなる。
それは本人がその特性をよく知った上で、良い方向へ出せる様に意識して、そして日頃しっかりと磨いているかどうか?に掛かっていると思う。
それによって、「細かさ」は「慎重さ」という長所にもなるし、悪く出れば「重箱の隅をつつく厭らしさ」にもなるし「臆病さ」にもなる。
「勇敢さ」は、出し方によって「勇気」ともなれば、ただの「無謀さ」にもなる。
それは自分の特性の本質をよく理解し、その長短をよく考え、「どういった状況でどういった形で出せば、みんなの役に立てるのか?」をしっかりと考えているか否か?にかかっていると思う。
独り善がりにならない為には、人間は若い内に下積み・修行時代というものをきちんとこなして、自分の物事の見方を広く、深く、長期的視野に基づいて見られる様にしておかねばならないのだと思います。