生きる姿勢
先日、自然派の食や野菜づくりのイベントから仕事に戻った後、ボクシングとフィジカルトレーニングの指導をしていた時に考えていこと。
ボクシングトレーナーとしてコンビネーションやミットでの指導の後、ダイエット&姿勢矯正の目的で来られた方へのトレーニング指導。
それぞれ違う事をやっているみたいでも、人間の行う事って必ず共通する部分があって、それはフィジカルとメンタル共にある。
意識の持ち方が心の姿勢を作るし、それは体の姿勢にも移り出て来る。
ボクシングの構えでも、攻撃主体の人は特に教えなくても、クラウチング(前傾姿勢)になるし、全身のバランスを重視する人は放っておいてもアップライト(正中線に沿った重心)になる。
これはどんな格闘技でもそうなりがちだなと思うんですけど、それが空手や古流柔術などの伝統的なものを受け継ぐ武道では、稽古の初期の段階でその人の持つ個性をあえて否定し、初心者の内に強制的にあらゆる姿勢を身に付けさせるんですよね。
姿勢と構えをいくつも教える。
それによって、相手や状況によって使い分けられる能力をつけさせる。
格闘技と武道とどちらもやってきて、どっちの教え方が本当に伸びるのか?と考えると、武道的な教え方の方が長い目で見ると伸び代が違う様に思う。
フィジカルトレーナーとしてから見ても、凄く理に適っている。インナーマッスルを初期の内に意識させるんですよね。スポーツ的な教え方って、いわゆる外から「見える動き」を教える。その競技で使う動きそのもの、フォームってそういうものですよね。
それに対して、武道は最初は何に使うのかよく分からない様な動きを習得させられる。柔道や剣道は柔術・剣術であった頃の古式の基本がだいぶ端折られてしまっている様に感じるけど、空手や合気道、古流の柔術や剣術とかにはまだ一応残っている。
才能のある人が若い内に選手として頑張るには、格闘技の教え方でもいいと思うけど、どうしてもケガや故障はしやすくなると思うんですよね。
昔の人がこういう指導法を選んだのは、得意な姿勢やある一つのパターンのみでは、通じない事があるのが当たり前だし、何よりも人間というものは一つの型(パターン)の繰り返しでは生きていけないという事を知っていたのだと思う。
心の勢いが体の姿勢を作る。
色々な人を指導していて、その人特有の心の構え、取り組む姿勢を見ていて、姿勢とは姿でなく、「心の勢い」やから、「姿+勢い」なんやなと本当に感じるんですよね。
昔の人、よく「姿+勢い」って名付けたなと思います。
ほんまに感心しますね。