「温(ぬる)きは怨(あだ)なり」 かつての子育て①

優しさを支えるのは、裏側にある厳しさであり強さ。

この二つが表裏一体となって、愛と呼べるのだと思う。

母親の優しさが甘さとなってしまわない様に、それをしっかりと活かす為には、父親の厳しさがセットである必要があるんでしょうね。

この文章にもある様に、男親は損な役回りではあると思うけれど、それは社会における男性の役割なのだと思います。

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【「温(ぬる)きは怨(あだ)なり」 かつての子育て①】

自信、雷、火事、親父。

これは世の中の怖いものの代表を並べた言葉ですが、今は「親父」を怖いと思っている人は少数派でしょう。

でも、昔の父親というのは、「怖い」という表現が適切なのかどうか分かりませんが、少なくとも今よりもずっと「厳しい」畏怖すべき存在でした。

私は向田邦子さんの作品が好きでよく読むのですが、彼女のエッセイ(「壊れたと壊したは違う」)の中に、とても印象に残っているエピソードがあります。

それは彼女がまだ幼い時の事です。父親に買って貰ったガラス製の筆立てを割ってしまった彼女は、「壊れました」と言うのですが、それを聞いた父親が激怒するのです。

でも、怒ったのは筆立てを割ったからではありません。

筆立ては自然に割れたのか。そうでないのなら、「壊れた」ではなく「壊した」だろう、と彼女が自分の行為を誤魔化す様な言葉を使った事を叱ったのです。

向田邦子さんのお父さんが、世の中をきちんと生きて行くための基本を娘に一生懸命に教えようとしていた事が伝わってくるとてもいい話です。

幸田露伴の娘、幸田文(あや)さんのエッセイにも、同じ様に父が娘を厳しく躾けていた事が伝わってくる話がいくつもありますが、こうした父親が素敵だなと思うのは、娘を叱る言葉の一つ一つに人生訓の様なものがきちんと入っていて、「世の中に出た時に自分の娘が人から嫌われない様に」「人前で恥をかかない様に」という思いが伝わって来るからです。

残念な事に、今は子供をそういう風に厳しく躾ける家庭が少なくなっています。

聞いてみると、「少しでも厳しく言うと、子供が自分から離れていってしまう様な気がして、怖くて強く言えない」という父親が多いのです。

しかし、例え嫌われたとしても、長い目で見たら、大切な事は厳しく教えてあげる事が子供のためになります。

そんな子供に甘くなってしまった今の父親たちに贈りたいのが、井原西鶴の次の言葉です。

齋藤孝(明治大学教授)

続く

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