「温(ぬる)きは怨(あだ)なり」 かつての子育て②

脳の成長もそうですが、臨界期というものがあって、「大人になってからではもう身に付かない」というものがありますよね。

その能力が苦のない状態で身に付く間に、きちんと躾けてあげる事、それがホンモノの愛情なのだと思います。

【「温(ぬる)きは怨(あだ)なり」 かつての子育て②】

「惣じて、親の子にゆるがせなるは、家を乱すのもとゐなり」

「烈(はげ)しきはその子のため、温(ぬる)きは怨(あだ)なり」

これらは「日本永代蔵」巻五の五に出て来る言葉です。

親が子供を甘やかすのは家を乱すもと。厳しく躾けるのがその子のためになり、甘やかすのはその子の害になるものだ、という事です。

「温きは怨なり」というのはかなり厳しい表現です。なぜ父親がそこまで厳しい態度で臨まなければならないのか、と思うかもしれませんが、その理由を西鶴は次の様に言っています。

「随分厳しく仕かけても、大かたは母親ひとつになりて、抜道をこしらへ、、その身に過ぐる程の悪遣ひする事ぞかし」

つまり、母親というのはどうしても子供に甘くなる(西鶴は、母親と子供がグルになって無駄遣いする、と言っています)ものなので、父親はそれを踏まえて厳しくしなければならない、という事です。損な役回りだと思いますが、父親というのはそういうものなのだとも思います。

今は昔の様な大家族ではないため、始終厳しい雰囲気だと子供が行き詰まってしまうので、基本的には明るい雰囲気で接した方がいいと思いますが、「うちはここだけは絶対に譲らないよ」というものに関しては、厳しい態度で臨む事が必要だと思います。

勿論、何を重視するかはその家の自由です。

大学生を見ていても、わがままで「あまり付き合いたくないな」と思われてしまう学生がいます。そして、そういう癖は大人になってからでは、変えにくくなってしまうのです。ですから、躾けに関しては子供の頃にしておくのが、親の義務であると言えます。

西鶴の「温きは怨なり」という言葉通り、甘やかす事は決してその子のためにならないのです。

齋藤孝(明治大学教授)

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