共感の遮断

為末大さんのFacebook記事を読んで考えたこと。

「自己への集中」と「他者への共感」。
この二つの使い分けというか、バランスのとり方は難しい所ですよね。

「共感を遮断」し過ぎて、精神のバランスが狂い、頑固になり他者のアドバイスが聞き入れられなくなって迷走しているアスリートもよく見掛けます。反対に、意見を取り入れ過ぎて、自分本来の良さを失う人もいる。

イチローさんなんかは、それが相当上手かった人っていう気がします。

このバランスって昔の「守破離」とも重なる部分も多いかなと思うけれど、それぞれが必要な時期があって、タイミングを間違えるとただ迷っているだけになてしまう。スポーツでも、仕事でも、政治なんかでも、これが上手く出来る人は凄い領域まで登れるでしょうね。

これが出来るのは、人生の達人と言ってもいいのかもしれないと思う。ブッダとか、聖徳太子とかいった人は出来たんでしょうね。

以下、為末さんの文章を転載。

長文ファンの皆様おはようございます。

トップアスリートは努力するだけではなることができません。「勝負強さ」と「ぶれない執着心」が必要です。しかし、これには裏の側面もあります。

勝負の時、アスリートは多くの期待を背負っています。観客がたくさんいる中で、自分のプレーでチームの勝敗が決まる。さらには観客もそれで一喜一憂するわけです。

よくアスリートは優しすぎるとダメだと言われますが、もう少し正確に言えば「共感を遮断できなければならない」だと思います。社会的重圧の正体は他者への想像力です。他者の気持ちがわからなければプレッシャーも感じにくい。

リスクへ許容度があります。四年間の成果が決まる、または数億円が動くという時に、興奮したり、力を発揮するのはリスクの感じ方が普通ではありません。引退して社会に出て抜け殻のようになるアスリートもいますが、それは日常社会はグラウンドと比べると、リスクが小さいからだと思います。

トップアスリートになるにはある領域に労力を投下し続けなければなりません。しかもただやるだけではなく興味を持ち続けなければならない。執着心が大切です。

競技力が高まると多くの人からアドバイスがやってきます。10のアドバイスは良いかもしれませんが1000のアドバイスは混乱を生みます。さらに誘惑もあります。いわゆるいい人のアスリートで、人の話を聞きすぎて、人の誘いを断れなくて、崩れていくパターンも見ます。

周りに何の刺激もない時に努力できる能力と、周りが注意を惹き続ける状態でそれに気を取られずに努力し続けられる能力は違います。後者は余計な情報を遮断する能力に近いです。

ほとんどのことを無視し、ある一点に投下した労力が膨大になり、他者に抜きん出た存在になれます。

共感を下げられる、リスク許容度が大きい、一点集中しそれ以外に興味を持たない。これは社会性を損なう性格と表裏一体です。また社会経験も失われやすい。しかし、こういった選手を見るとこいつは才能があると思うのも事実です。

まとめるとスポーツの偉業は「適切に社会との繋がりを遮断し、興味を一点に向け、リソースを局所偏在させる」ことで成し遂げられる、です。

このようにトップアスリートになれる性質にももちろん裏の側面があります。それを才能と呼ぶか弱点と呼ぶかは環境が決めています。

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