60歳を過ぎてからが本当の修行
伝統芸能の世界は本当に凄いと思う。
文楽、一度ナマで見た事がありますが、最初はもう気になって気になってしょうがなかった後ろの黒子の人達が、途中から目には見えているはずなのに心の目では見えなくなりました。
どんどん物語に入り込んで、最後は感動して涙を流す自分にビックリしましたね。
致知出版社の人間力メルマガより転載
2023.1.4
60を過ぎてからが本当の修業の始まり――人間国宝・桐竹勘十郎さんに聞く
1月1日発刊の最新号「積善の家に余慶あり」。
表紙とトップインタビューを飾っていただいたのは、江戸時代から続く日本を代表する伝統芸能、人形浄瑠璃文楽 人形遣い/人間国宝の三世桐竹勘十郎さんです。
60歳になってようやく花が咲く、といわれる厳しい文楽修業を積み重ねてきた勘十郎さんに、一道を極める極意を語っていただきました。
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(――勘十郎さんは、14歳で文楽の世界に入られたと伺っています。50年以上、文楽の道を一筋に歩み続けてこられたわけですね。)
(桐竹)
私自身は何十年もやってきたという感覚はあまりないんです。
気がつくといつの間にか50年も経っていた、そういう認識ですね。
(――あっという間でしたか。)
(桐竹)
あっという間です。よく周りの方からこれまで大変だったなとおっしゃっていただきます。しみじみ振り返れば、確かにいろんな出来事があったのでしょうけれども、それほど大変な道のりだったかなぁと。
というのも、ひと言でいえば、文楽の仕事が好きやったんです。
しんどいことがあっても、それを忘れさせてくれるくらい仕事が好きで、楽しかった。
仕事が「好き」というのは、何物にも勝る大事なことだと思っています。ですから、好きになれる仕事に出合えて、五十余年ずっと続けてくることができた。
それが私にとって一番の幸せですね。
(――好きという思いが
勘十郎さんの文楽人生を導いてきてくれた。)
(桐竹)
それに文楽の世界では、何十年と修業、下積みを積み重ねてきて、60歳くらいでやっと花咲く時期を迎えるんですね。
それまで積み重ねてきたものが思うように使えるようになるのが60歳頃で、そこからさらなる高みを目指して少しずつ修正を加えていく。
ですから、一生修業というように、「はい、ここで終わり」というものがないのがこの世界です。
私の師である吉田簑助師匠は、2021年に88歳で引退されましたけれども、「やりつくした」と(笑)。本当に格好いいです。
私もそう言って引退したいところですが、師匠の年齢まで20年ありますのでね。本当にまだまだこれからなんです。
やり残したこと、やりたいことがいっぱいあります。
(――ああ、まだまだこれから。
これからが本当のスタートだと。)
(桐竹)
ええ、いまが一番楽しいですね。
これは数年前のことなのですが、ある時から力を入れずに人形が
ものすごく楽に遣えるようになったんです。
そして、自分でびっくりするくらい人形が動くんですよ。
太夫(たゆう)さんの浄瑠璃(語り)が耳に入った瞬間、勝手に人形が動いている、というくらいに。
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能とか歌舞伎なんかもそうですが、今の映画やドラマとは違う演じ方が最初は気になるけれど、しばらくすると物語に引き込まれていく。
宝塚歌劇でも同じ様な事を感じましたが、演者の方の力量が凄いと大袈裟な演じ方や、日常とは違う立ち居振る舞いが気にならなくなって、中身の方にグイグイと引き込まれますもんね。
騙し絵とかもそうですが、人間の脳って見たい方へ集中するからスイッチが切り換わると、別の見方は出来なくなる。
この脳の力は、人間という動物の怖さでもあるし、面白さでもあるなと思うんですけど、この能力をいい方向へ使いたいものですね。