「恩を仇で返す」怖ろしさ
凄く考えさせられる寓話でした。
「恩を仇で返す」、こういった行為を平気で行える人間が増えている現代ですが、こういった寓話みたいなものを幼い頃に、心の奥深くに仕舞っていないのだろうと思います。
だから、目先の快楽や利益で人を簡単に裏切ってしまう。
「バレない」と思っている。
自分の行為、またその時の心情は、自分自身の魂にも宇宙のアカシックレコードにも一言一句漏らさずに書き込まれている。
今風に言うなら、ネットに上げたデータを「デジタルタトゥー」と呼んでいる様に、永遠に消える事はない。
大人になってから思い返すと、昔話とかも子供でも分かる様に人の道を教えてくれる、深い話が多いですよね。
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致知出版社の人間力メルマガより転載
2023.1.12
「善因善果、悪因悪果」といわれます。
善い行いをすれば、善い結果に恵まれ、悪い行いをすれば、悪い結果を生む。その真理を伝えた仏教の言葉です。
いわゆる因果応報というのは、そのことです。
そして、善悪の報いはすぐに訪れないとしても、時を経て必ず受けることになると仏教では説いています。
『致知』2月号では、90歳のいまも禅の指導に勤しみ、人々に御仏の尊い教えを説き続ける窪田慈雲老師が道元禅師が語った人間の悪業にまつわる以下のような寓話を紹介されています。
(窪田)
その昔、一人の樵(きこり)が薪(たきぎ)を取りに山へ入った際に大雪に見舞われ、道に迷ってしまいました。
凍えて身動きが取れなくなり、いまにも命を失いそうになったところへ大きなヒグマが現れ、樵を洞窟へ運んでその身を抱き抱えて暖め、食べ物を与えて懸命に介抱しました。
おかげで命拾いした樵は、数日して雪がやむとヒグマに別れを告げ、里へ帰ることにしました。
里の近くまで差しかかった時、樵は二人の猟師に会いました。
獲物が捕れずに困っていた二人に、樵は自分がヒグマの所から
帰ってきたことを打ち明けました。
そしてあろうことか、ヒグマを仕留めた時にはその肉を分けてもらう約束をも取りつけ、道案内を買って出たのです。
ところが、首尾よくヒグマを仕留めた猟師から肉を受け取ろうとした途端、樵の両腕は胴体から外れ、バサッと地面に落ちてしまいました。
猟師たちは驚愕し、樵を問い質して事情を知りました。
大恩あるヒグマを裏切ったことを厳しく責め立てられ、深く反省した樵は、二人に付き添われて近くのお寺を訪ね、ヒグマの肉を寄進しました。
三世を見通す智慧を備えた住職は、そのヒグマが菩薩の生まれ変わりであったことを見抜き、香木の薪を集めてその肉を焼き、残った骨を集めて卒塔婆を立て礼拝供養したのでした。
お世話になった恩人を裏切る行為が、いかに恐ろしい報いとなって己に跳ね返ってくるかを説く物語といえます。
それにしても、この樵はなぜ自分を助けてくれた大切なヒグマを裏切ったのでしょうか。
一つ言えることは、人間とは知らず知らずのうちにこうした過ちを犯してしまいがちな愚かな存在であることを、私たちは心に刻んでおかなければならないということです。
いずれにしても、因果を眩ますことはできません。
それが因果応報の真理なのです。
逃げる方法を考えるのではなく、来たものはすべて受け止める。
それこそが、悪縁を良縁に転ずる生き方といえましょう。
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生まれ変わりやあの世の仕組みを少し学べば、こういった事は心に入って来ると思いますが、別にそういった事を信じなくても、少し長い目で見れば「自分さえ良ければいい」という生き方をしている人の末路って、社会をよく見ていればすぐに見えて来ると思うんですよね。
自他が共に幸せになれる方法を考えていきたいものやなと思います。