成長とは一つは静かになるということでしょう
サバイバーからスライバーへ
ある種のエピソード記憶の塊が現在に色々な影響を及ぼしている事を認知した人をサバイバーと呼ぶ。ネガティブな経験をしてきて、心身の不調を抱えていたりする。そしてそういう自分の一連の生き方を宿命、運命と考え、周囲は自分を脅かす敵だと思っているから、いつでも臨戦態勢で虚勢を張っていなければならない。そのため、いつも孤独で寂しい。一言で言えば、「生きにくい」人という事になるでしょうか。それがサバイバーと呼ばれる人達。
これに対してスライブ(成長)した人とは、自分を「サバイブしてきた」と主張する必要のない人、自分をあるがまま受け入れられるので自分に優しく、一人でいる事が出来て、寂しさを感じてもそれと共存出来る人です。
スライバーは自分で選んで決定するから、何かあっても運命だとは思いません。決定した事に責任を持ち、失敗してもその課程を楽しめる。
その様にスライブした人、成長した人は「静か」です。
私の所に来る事もないので、話す機会は私が何かをお願いした時が多くなる。例えば「今度、こういう講演会であなたの体験を話してくれないか」という様な事です。そして、成長した人は嫌であれば、はっきり「ノー」も言ってくれます。断られたら私も、「そう」と言って他の人を探します。こんな状態に多くの患者さんがなってくれたら有難いと思う。
成長していないと、自分の能力を認めて欲しいという話になあって、「私はこれだけ出来る」あるいは「本当は資質があるのに何もやれないのはこういう症状があるから」と。症状の話と自分の能力の話でいっぱいになってしまう。
だから、とても賑やかです。
そのままの自分を肯定的に捉えられないため、黙っていられないのです。
どうして成長すると静かでいられるのか、嫌な事は「ノー」と言って断れるのかというと、成長とは「怒り」や「甘え」の底にある、自分をありのままに認められる自己肯定感を見出し、育んでいく事に他ならないからです。
自分の素直な感情、あるいは、自分の能力や資質を、自分が喜びを感じる形で表してく事だからです。
斎藤学著
[「愛」という名のやさしい暴力]より抜粋
「成長とは静かになること」凄く深い意味合いで、納得のいく内容でした。
確かに苦労や精神的な葛藤を乗り越えてきた人には、「深い静けさ」が共通してありますよね。
昔、読んだ銀色夏生三のエッセイで、そういう人を表現してあるのを読んで凄く感動した事があります。細かい所は忘れましたが、「深い森の奥にある、静かな湖を持ち、その水面はほとんど揺れる事がないが、とても大きな出来事が起こった時にだけほんのかすかに揺れる。そんな人が私は好きだ」といった感じやったと思う。
この文章を呼んでいて、それを思い出しました。