多様な価値観を持てるか?
為末大さんのFacebook記事を読んで思ったこと。
これ、凄く大切。
人間が生きていく上で、この葛藤を抱えている人が凄く多いんですよね。自分で自分を苦しめてしまっている。
これど、その真っ最中に居る時には、なかなかそれを客観視が出来ず、その中から抜け出せない。
人生を見るとこの二つの狭間を生きるように思います。
・単一の価値観で生きれば人生はシンプルになるが、勝ち負けは鮮明になる
・多様な価値観を持てば人生に迷うが、簡単な勝ち負けではなくなる
単一の価値観から多様な価値観に移行する時、他ならぬ自分が自分に対し「それは敗北宣言ではないか」と迫ることがよくあります。勝てないから価値観の方を変えたと厳しく自分を追求するわけです。実際には成熟だとも捉えられると思うのですが。
トレーニングを見ている中で、アスリートは勿論、普通の会社員とかでも、この単一の価値基準しか持てなくて苦しんでいる人が本当いに多い。
その世界で生きていると、周囲の人は全部その一つの価値観のレースをしているから、他の視点、価値観になかなか気付けないんですよね。
全然違う価値観で生きている人の中に行って、そういう人と近い距離感で接していけば、「自分を苦しめているものの正体が何なのか?」が見えたりするんですけど、必死である価値観の中で生きていると、それがなかなか出来ない。
僕はトレーナーとしてクライアントと片足が同じ領域で、もう片方の足は違う領域に置いているので、それが伝えやすい立場なのだと思っています。ゆっくり時間を掛けて付き合っていく中で少しずとそれを伝えていけるので、相手が自分で自分を苦しめている価値観から脱する瞬間に立ち会えたりするのが、凄く幸せであり、やりがいを感じる部分でもありますね。
以下に為末大さんの全文を転載しておきます。
為末 大
長文ファンの皆様おはようございます。
価値基準がはっきりしていると、人は迷いなく力を発揮できます。価値基準がはっきりしている集団もまた強いです。
名誉が全て、勝利が全て、人助けが全て、公平さが全て。
この行動は正しいのだろうかと迷う人よりも、早く躊躇なく判断し行動するためにより抜きん出ます。
しかし、価値基準から自分だけを取り除くことはできません。自らが信じる価値基準で自分をも評価します。頑張ってもうまくいくとは限りません。
うまくいかなかった時、人生をシンプルにしてくれた価値観が自分に向かってきます。迷いなく判断できたシンプルさで、迷いなく現在の自分にも評価を下すわけです。「君には価値がない」と判断されるかも知れません。
複数の価値観を自らの中に内在化させることも可能です。そうすれば単一の価値観で自分を評価することから逃れられます。一方それは迷いを生みます。ある価値観では正しくても、別の価値観からは正しくないかも知れないからです。
人生を見るとこの二つの狭間を生きるように思います。
・単一の価値観で生きれば人生はシンプルになるが、勝ち負けは鮮明になる
・多様な価値観を持てば人生に迷うが、簡単な勝ち負けではなくなる
単一の価値観から多様な価値観に移行する時、他ならぬ自分が自分に対し「それは敗北宣言ではないか」と迫ることがよくあります。勝てないから価値観の方を変えたと厳しく自分を追求するわけです。実際には成熟だとも捉えられると思うのですが。
この二つの間を柔らかく豊かに生きるのが良いと思っているのですが、どうすればいいか日々考えています。