本番が一番のトレーニング

為末さんのFacebook記事を読んで考えたこと。

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究極は、「本番こそが一番のトレーニング」と言えるし、そのためには「日々のトレーニング=本番である」という覚悟を持って取り組む事になると思う。

メンタルを鍛えるには、昔は普通に言われていた、「練習で泣いて、本番で笑え」という昭和の教えに辿り着く気がする。

技術、体の感覚を磨く際には、リラックスが大切ですけど。

長文ファンの皆様おはようございます。

よく私たち競技者は「トレーニング」と「パフォーマンス」を分けて語りますが、実際にこの二つは大変曖昧なものです。仕事においてはほぼ同時進行で、実際に仕事しながら学び、学んだことを仕事で活かすことが繰り返されます。トレーニング⇔パフォーマンスです。

スポーツではトレーニングはもう少し重視されます。これは外的環境の安定性の違いからきます。スポーツのルールも勝利条件もこの数十年ほとんど変わっていませんが、社会を見れば、昔はインターネットもありませんでした。トレーニングは、ある目的に対し必要な技能を磨くことですが、環境が変わると必要とされる技能が変化するので、トレーニングがしにくいのです。

さてトレーニングは過学習も生み出します。なぜならどのトレーニングもどうしても、リアリティに欠けるからです。バスケットボールのシュート練習も、相手の選手のプレッシャーや、この試合負けたらどうしようという心の重圧がないので、試合本番とはかなり異なる状態です。

室内の限られた空間でプログラミングされたロボットが外に出てうまく歩行できないことがありました。それは動きだけにフォーカスしてプログラムしてしまったことで、安定しない外部環境に適応できなかった問題です。本当の環境は常に不安定です。

名著デクステリティの中で、技能の質は「巧みさ」にあるとされています。巧みさとは外部環境の中で自分を扱いながら、うまく目的を達成する「調整機能」のことです。雨や風、相手の動き、その日の体調などを踏まえながら、一定の質を出すことが大切です。なぜなら常に安定した環境は存在しないからです。つまり、どの環境でも必ずうまく行く方法は存在しません。

そう考えると「トレーニング」は、その技能を使う環境の中で行うことが大切になります。それを突き詰めていくと「パフォーマンス」こそがトレーニングではないかとなります。本番のトレーニングは本番しかないという考えです。

しかし、本番の環境はそう作り出すことができない。このジレンマがトレーニング哲学の根幹にあります。

さて、社会に出てみて「実践の方がいいもの」と、「事前にトレーニングした方がいいもの」があまり分けられていないなと思いました。

文章やプレゼンはトレーニング可能です。一方向的で複雑性が低いからです。一方で、起業などは複雑性が高くやってみるしかないと思いました。

トレーニングできるものか。それともいきなりパフォーマンスしながら学ぶしかないのか。これを今整理しています。

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