切り捨てられた身体文化
戦後の日本は、急速な欧米化によってそれまでの日本独自の様々な文化を失ってきましたが、無くしてはならない素晴らしいものが沢山あったのに本当に勿体ない事をしたと思っています。自分一人の力ではどうしようもないのですが、何とか少しでも残していきたいと活動しています。
もう取り返しがつかない程の所まで進行しているとは思うのですが、少しでも気付ける人を増やしていきたいなと考えています。
以下、そういった事を昔から訴えられている、明治大学教授の齋藤孝さんの文章を紹介します。
【身体文化の礎は、こうして切り捨てられた】
戦後の一つの象徴的出来事としては、1945年のGHQによる武道の禁止です。これを機に、教育の現場からは、日本の身体技術、身体文化といったものが意図的に排除されていきました。
当時は、武道が日本人の好戦的な性格を作り、型にはまったやり方というもの非合理的な精神を作ると見なされた。あるいは、上からの命令に絶対服従するという様な自主性のない人格を作ってしまう要因であったと、批判にさらされたわけです。
逆に言えば欧米人から見た時、型の教育の持つ強力さは、脅威であったのだと思います。
武道的なものは型稽古を取り払って骨抜きにされ、ただのゲーム的要素になり下がりました。
問題は「型」に対する否定的な考え方を、日本人がそのまま無自覚に信じ切ってしまった事です。
日本人自身が、「型」を持った教育や伝統に培われた思想、あるいは「何々道」と言われる日本古来の身体知に対して、拒絶反応を起こしてしまったのです。
戦後教育を受けた世代は、今の七十代位の人からです。
与えられた教の路線が正しいかどうかを検証する以前に、自分達の先祖は培ってきた文化をいとも簡単に捨ててしまった。
だがその時、本当は、教育は何をしなければならなかったのか。
教育というのは、自然の流れに任せていては身に付かない事を身に付けさせるためのものです。何もしなくても出来る様な事なら教えなくてもいい。
学校というのは、先人の文化や知恵を継承する役割を担うべきでした。変化していく社会の仕組みの中で、失われていくものを見定めて、カリキュラム化しなければならなかったのです。
かつて、毎日何キロも歩いて学校に行くといった暮らしをしていた子供達にとっては、強い足腰を作って長い息を吐く事は、自然に出来た事です。
昔の日本人はとにかく歩いていた。幕末の吉田松陰たちは、平気で長州から江戸まで歩いていましたし、坂本龍馬だって四国の山を越えて、あちこち行くわけです。
そういう人間は、どう転んだって呼吸ばかりは強い。人を動かす胆力があった。
あれ程の距離を歩けるというのは相当安定した呼吸の持続力が要求されます。歩く事から腹力、呼吸力が徹底的に鍛えられていた。言ってみれば、トレーニング量が桁違いだったわけです。
だが今は、昔の生活様式が崩れて、体に中心軸を持った立ち方、坐り方、歩き方が出来なくなった。
それが急激に衰えたからには、教育それを補完しなければいけない。
自然にしていては身に付かないものを学ぶのが学習です。今を何が失われているのか、この先何が失われていくのかに気付き、文化を継承していくのが教育の役割です。
戦後教育が、基礎的な〈身体の知〉が、「何々道」とか「何々術」にあった型や技の文化を廃らせるに任せた事、ここに最大の過ちはあったのだと思います。
齋藤孝
(明治大学教授)