心の値打ち

【心の値打ち】

障害を持った人間が複数 身内にいたので、こういう場面には子供の頃からよく立ち会いました。お蔭様で人の心の値打ちは幼い内からよく見せて貰ったな、と思います。

一見、いい人そうに見える人の内面が一瞬で曝け出されるんですよね、怖いなと思いながら見ていました。

●致知出版社の人間力メルマガ(号外)より転載

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弊社には、毎日のように全国の『致知』愛読者の方から感動のメッセージが届きます。

本日は2025年2月号掲載、向野幾世さんから寄せられた心温まるお父様との感動のエピソードをご紹介します。

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奈良県在住 向野幾世さん(88歳)

『致知』との出逢いは55歳の時、奈良県初の女性校長になったことがきっかけでした。何かしら自分の心の支えになるものを探さなければと思い、学校に送られてきた広告の中から『致知』を見つけ出したのです。

最初は難しくて分からないこともありましたが、読み続けているうちに自分を支えてくれる本として愛着が湧き、いまでは手放せない存在になりました。

それは、この『致知』の教えが、父の姿と重なるように、心に沁しみ込んできたからなのかもしれません。

私の父は生まれつき重度脳性麻痺の障碍を持っていました。

家が貧しかったため、学生時代はアルバイトに次ぐアルバイトの日々でろくに勉強もできません。本音を言えば、私は父のことをずっと恨んでいました。

働きに出ることができない父は、いつも家で留守番をしていました。

人が来ると、大急ぎで這って玄関に行きます。襖(ふすま)を開けると、「ハア、ハア」とものすごい形相です。お客さんはびっくりして「しっしっ、そばに寄るな、あっちへ行け」とえらい勢いで追い払いました。

何度もそんな情景を見た私は、聞いたことがあります。

「父さん、悔しくないの? あんなこと言われて」と。

父は「ちっとも悔しくない」と答えました。

「父さんはこの体を生きるおかげで、分かることがある。玄関に訪ねて来た人は、どんな立派な服を着ていようと、立派な肩書の入った名刺を出そうと、心の値打ちの低い人がある。

一方で、名刺も何もなくても心の値打ちの高い人がある。

父さんは生きている間中、そういう人に出会って死んでいけるから、ちっとも悔しくない。幾世も大きくなったら、心の値打ちの高い人に会っていきなさい」と言われました。

私は何もしてもらえなかった、と父を恨んでいましたが、そうではなかった。ただただ合掌し続けて生きた父から、人は生かされてのみ生きるのだという人間観を教えられました。

大きな大きな財産を貰っていたのだと、いまではよく分かります。

父は76歳で亡くなりましたが、いまではその姿に『致知』を

重ねて毎月大切に読んでいます。また、致知出版社の講演会にも何度も足を運び、藤尾社長の迸るような情熱を聞くたびに、この本を手放してはならないという思いにさせられるのです。

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