何かを前にして、「やる気」がふつふつと湧き上がってくる。
そんな事がありますよね。
その時、心の中、あるいは脳の中で起こっている現象はどんなものなのでしょう。
何かを前にして、「よし、やってやる!」と思っている時、心の中にあるのは自信です。自信が持てない事に対しては、「人はやってやる!」と自然には思えない。それは経験の有無とは、直接関係がありません。
全く、経験が無くても、人は「出来そう!」思えたなら、それに挑戦しようとします。逆に、経験があったとしても、それに困った事があれば、あまり気が進まなくなる。
つまり、その差は「経験の有無」ではありません。「自信の有無」なのです。
では、この「自信」とは一体何なのでしょう。
日常的に、我々は常に「自信がある」とか「自信がない」と口にしていますが、その中身を真剣に考えた事がある人はほとんどいないと思います。何となく、心が感じた事を口にしている。そんな感じではないでしょうか。
自信とは何か?
それは、とても簡単で文字の通りです。「自分を信じる」と漢字で書いて「自信」と表している、そのまんまなのです。
そんなもん分かってるわ1とほとんどの人が思われたと思いますが、果たして本当にそうでしょうか?
では、ここで「自分を信じる」の「自分」の部分を「他人」に入れ代えてみましょう。いってみれば「他信」になりますね。
あなたは、どんな人なら信じられるでしょう?
人との約束をすっぽかす人を信じるでしょうか?人から借りたものを、返さなくても平気な人を信頼するでしょうか?
そんな事は絶対にあり得ないはずですよね。
相手との約束をきっちりと守る人を信じるはずです。もし、何か厳しい事態が生じて約束を守れなくとも、少なくともその約束を誠実に守ろうとして力を尽くしてくれた人を信じたいと思うはずです。
実はここに、「自信の正体」が表れています。
自信とは、他信と同じ。「あなたが相手を信じる時に、必要条件としている”大切で譲れない条件”が、自分自身にもある」と認識した時に、自信とは心の中に発生するものなのです。
「信じるに値する」と、心が判断しなかれば、自信は生まれない。
という事は・・・。
あなたが「自分にj自信がない」と感じた時、それは他人との比較で言っているのではなく、あなたの心が、「他人の価値を推し量る」時と同じ基準で、冷静に「自分自身の価値を推し量った」結果として、「コイツは信じるに値しない」と判断しているという事なのです。
いっても、これが「空を飛ぶ自信」がないのなら、心は全く傷つく事はありませんよね。誰も出来ない事だから。そして、恐らく「自分自身が全くやる気がしない」事でもそういう感情は湧きません。だって、本気でやろうとは思っていないから。
出来るなら「やりたい」と思っているのに、「やれる気がしない」時にだけ、そういう感情が生まれるのです。
「やりたい」のに、でも「コイツはいつもやらない」から、「コイツはいつも最後までやり切らない」から。
もう少しいうなら、「出来なくてもいいけど、全力を出して頑張ってくれるのなら失敗してもいいから任せるんだけど、コイツっていつもちょっとしんどくなると諦めるんだよね。すぐに諦める、簡単に物事を放り出してしまうから、信頼するのが怖い」と思っている相手だから、信じられないのです。
こういう相手だと、脳が判断したなら、その相手が他人であっても自分自身であっても、絶対に信じられないですよね。
つまりは、相手の「過去の行動」を判断した結果として、「コイツは信用ならない」と脳が判断した結果、それが「信じられない」の正体。
そして、それが誰か、他人に向かった時が「コイツは信用ならないぞ!」という気持ちになり、
それが自分自身に向かった時、「自信がない・・・」という言葉となって心に浮かんで来るのです。
しかし、そうはいっても「自信がない」という気持ちになる事は誰にでもあるものです。どうすればいいのでしょうか?