明治維新という過ち②

幕末最大のヒーロー坂本龍馬。ほとんどの日本人にとって憧れの存在ですよね。

僕はなぜか子供の頃から不思議と吉田松陰に惹かれたのですが、それでもやっぱり坂本龍馬はカッコいいと思ってましたし、憧れる部分もありました。そんなヒーロー坂本龍馬の実相とは如何なるものか?

こういった方が出始めて、またネットの普及もあって、これから少しずつ解き明かされていくんでしょうね。

「明治維新という過ち ~日本を滅ぼした吉田松陰と長州テロリスト~」(原田伊織著)より抜粋して紹介します。

はじめに 

「竜馬と龍馬」

故・司馬遼太郎氏の著作に「竜馬がゆく」という作品がある。

言うまでもないが、これは司馬さんの小説である。つまりフィクションである。だからこそ、司馬さんは「龍馬」とせず、敢えて「竜馬」とした。

つまり、論理的に言えば「坂本龍馬」という土佐の郷士崩れの様な男と「坂本竜馬」は別であって、司馬さん自身がその事を十分意識しているという事なのだ。

ところが、多くの人がこの小説に書かれた竜馬を、「坂本龍馬」の実像だと信じ込んだ。この事が幕末動乱史の解釈を大いに誤らせた事は事実である。坂本龍馬とは、それほど巨大な人物でも何でもない。この人物に関しては麗しき誤解が余りにも多い。

一つ、二つ冷や水を注しておくと、坂本龍馬という男は長崎・グラバー商会の“営業マン”的な存在であったようだ。薩摩藩に武器弾薬を買わせ、それを長州に転売する事が出来れば、彼にとってもメリットがある。グラバー商会とは、清国でアヘン戦争を推進して中国侵略を展開した中心勢力ジャーディン・マセソン社の長崎(日本)代理店である。

坂本龍馬とは、日本侵略を企図していた国の手先・グラバー商会の、そのまた手先であったという事だ。

その他、おりょうという女(寺田屋の養女)を妻とすること、郷士としての出自のこと、北辰一刀流免許皆伝のこと等々、この男ほど虚飾が肥大して定着した幕末人は他に例をみない。

歴史を皮膚感覚で理解するとは、その場の空気を感じ取る事だ。歴史を学ぶとは年号を暗記する事ではなく、往時を生きた生身の人間の息吹を己の皮膚で感じる事である。資料や電文はその助けに過ぎない。そういう地味な作業の果てに、「明治維新」という無条件の正義が崩壊しない限り、この社会に真っ当な倫理と論理が価値を持つ時代が再び訪れる事はないであろう。

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