「中に在る仕組み」が観える人と観えない人
勉強でもスポーツでも何でもそうですが、「そのもの」だけを学ぶ人と、「その中にあるシステムや本質・核」といったものを学べる人がいる。この違いは本当に大きいなって、いつも感じています。
伝わる人には一瞬で伝わるのに、伝わらない人には全く伝わらない不思議。
俯瞰する視点、メタ認知能力の差なんでしょうけど、この壁にはつも指導していて困らされますね。
「見の目、観の目」とか表現しますけど、これを如何に伝えるか?に昔の人も力を入れてきたんでしょうね。これを伝えるものを、昔の人は「道」と名付けて大切に教えて来たんやろうなと思います。
もう最後は本人が気付くしかない所で、しょうがないんやなと思うけれど。
「中に在るシステムが観える人」って、びっくりする位凄いスピードで成長する。植物で言うと、根っこが生えているからやと思うんですよね。
逆に伸びない人って、根がないのに葉っぱや花を咲かせようとする・・・。
そら無理やで~って見ていて思う。
その肝心かなめの部分に気付くには、よほど賢い人以外は痛い目に遭うしかないんやろうな~って思います。
人は痛い目に遭った時が一番学ぶもの。自分自身もそうやったし、人に指導していてもやっぱり痛い目に遭った時にみんな気付いている。
なんぼ誰かに親切に言われても、本を読んでも、動画を見ても、痛い目に遭うまでは、客観的に自分を見られないのが人間という生き物なのかな?と思います。
そう思うと、「失敗しても大丈夫なうちに、なるべく若い時分に、失敗させてあげる・痛い目に遭う様にしてあげる」のが優しさであり、真の教育かなと思えてきますね。