【人は、自分自身で見えない状態を作っている】
王貞治さんが、合気道の藤平先生に教わっていたのは有名ですけど、このエピソードはなる程なあ~と思わされました。人間って自分で勝手に「見えない状態」を作ってしまって、それなのに自分勝手に「焦り」、自分自身で「出来ない状態」を維持しているんですよね。
誰も邪魔はしていない。
自分で勝手に自分の邪魔をしている。
それに気付けるか、なんでしょうね。以下、王貞治さんの言葉です。
剛速球、目を見張る変化球も、しっかり捉えられれば打てるんですが、その「しっかり捉える」という一点というか、境地、それが掴めない。やはり、気持ちの中に「打ちたい」というのがどうしてもあるんですね。
そこで、藤平光一先生はこうおっしゃった。「ボールは、このベース上に来るんでしょう。その上を通るんでしょう。必ずそこへ来るのなら、待っていれば来るんだから、待っていれば打てるじゃないですか」。
言われてみるとその通りで、確かにボールが来るのを待っていればいいんです。ただ、その「待つ」がなかなか出来ないんですね。そして、打ちたい打ちたいと自分が力を入れれば入れるほど、「ボール本来の姿が見えなくなる」という事が分かってくる。
「いや、自分で見えなくしているんだよ」という事を先生に指摘されました。
バットを持って藤平先生のもとに伺うんですが、荒川さんや広岡さんは既に合氣道をやっていらしたからいいんですけど、僕は全くの白紙でしたから、最初はただただ見ているだけ。ああだこうだと言われても、さっぱり分からなかったんです。
そうしてまた、バットを持って先生をお訪ねし、何度も同じ事を聞き、分かったつもりになって、でもまた分からなくなる。そういう繰り返しでした。
それで、やっと「成る程」となったのが、結局「力を抜く」こと。「如何に力を抜くか」ということ。これは野球だけをやっていたら、いつまで経っても分からなかったかもしれません。
とにかく、静かに、無駄な動きをなくして、やって来るボールを「待つ」。
以上抜粋
王さんのお話でなかったら、あるいは話題が野球でなかったら、ほとんど宗教の話ですよね。
「しっかり目標を見ればいいだけ」、「静かに待っていればいいだけ」。
ほとんど禅問答みたいな感じ。
でも、これが分からないと、心がコントロール出来ない。
心のコントロールが出来ていなければ、体のコントロールなんて出来るわけがない。
ここに気付けるか、気付けないか。この差が人生において決定的な差になってくるんですよね。
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