感動しました。
これ、ほんまその通りやなと思います。得意な事や出来る事を教えると、苦手な人や出来ない人の気持ちが分からない。だから、指導者としてはちょっと残念な人になってしまう。そういう指導者って、世の中に結構多いですよね。
学校の先生や習い事の先生になるような人は、どちらかといえば出来るタイプ」の人がなるから仕方ないのだと思いますが、自分が出来てしまうタイプだから、苦手な子や出来ない子の気持ちが分からないし、「なぜ出来ないのか?」「どこでつまづいているのか?」も分からない。
だから、つい「努力が足りない」とか「怠けている」と思ってしまって、最後には怒ったりしてしまう。
これって、教える側、教わる側のどっちも可哀想で、すごく不幸な関係になっているんですよね。
「苦手な事を創意工夫して出来るようになった人」が指導者になるという事が、実はすごく大切で、かつ社会では本当に必要とされている事なんじゃないかな?という気がします。
以下、「致知出版社の人間力メルマガ」より転載です。
●致知出版社の人間力メルマガ 2021.4.22 ───────────────────
『致知』5月号では、 幼少期から多くの試練、逆境を乗り超えながら生きてきた のらねこ学かん代表の塩見志満子さん、おせっかい協会会長の高橋恵さんの対談がとても大きな感動を呼んでいます。
本日は、その対談記事の中から塩見さんの高校教師時代のお話を中心に紹介します。 塩見さんの温かいお人柄が伝わってきます。
★『致知』最新号「命いっぱいに生きる」。
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(塩見)
私は貧しい農家の子として生まれました。 きょうだいは6人いて私は4番目。 父は大酒飲みで、たくさん晩酌をしていました。 私が小学4年生の時だったか、 父が酒を飲んで分からんようになって帰ってきて、 しばらくして玄関で目を醒ました時に、 「百姓は貧乏じゃ。なんぼ働いても貧乏じゃ。 だから頼むけん、おまえはこれから心を入れ替えて 勉強して学校の先生になれ。 おまえは勉強したら先生になれる」 と泣きながらそう言うんです。 それで私は頑張って学校の先生になろうと思いました。
高校3年生の時、担任だった国語の先生が 「いまは女性の体育教師が不足しとるから、 大学に行って体育教師の資格を取れ」と。 だけど、私は学校の授業で一番苦手なのが体育だったの。 体育さえなかったら、 高校生活はパラダイスだと思っていたんです(笑)。 そうしたらその先生が 「おまえが体育が苦手なのは分かっとる。 だけど、体育が苦手な人間が先生になれば、 体育が苦手な生徒を全部好きになれる。 得意な教科の教員になると、苦手な生徒の心が見えん。 嫌いな科目の先生になることが 立派な教師になる秘訣だ」とおっしゃる。
船乗りになった兄が幸いにも学費を用立ててくれて、 東京の日本女子体育短期大学(現在の日本女子体育大学)に 進むことができました。 1年生の時は「あなたは体育ができんから、 荷物をまとめて帰りなさい」 と何回も言われました。 でも不思議ですね。「負けてなるか」と朝4時に起きて 誰もいない体育館でバレーボールやバスケットボール、 跳び箱などの練習をしていると、 6か月で皆から褒められる学生になったんです。 不可能は可能になるものなんですよ。 これは命懸けでやってみないことには分からない。
最初に勤めたのは東京の田園調布の中学校でした。 いまでは考えられませんが、 60年以上前の田園調布には 金持ちの子と貧しい家の子の両方がいて、 私は貧しい子供たちのためにおにぎりを持って通勤していました。 教室で皆がお昼ご飯を食べる時、 一人の男の子がじっと下を向いている。 「あんた、先生のご飯食べてくれる? 先生はお昼ご飯は苦手なの。 恥ずかしかったらトイレで食べてもいいよ」 とそっとおにぎりを渡すと、 「いいんですか」と言って1人でトイレで食べていました。 12、3歳の子というのはものすごくお腹が空くんです。
その子とは東京でたった1年間の出会いだったんです。 その子がいまも年に1回は千葉から愛媛に遊びに来ますよ。 「先生が僕を一人前にしてくれた」と言って。 人間はね、自分が欲さえ持たなかったら、 やったほどのことは必ず自分に返ってくる。
だから、どうか「こんなことをして何になるだろう」 などとは思わないで、 誰かのために何かやっていただきたい。 それが一番の願いですね。 |
僕は、運動するのも好きでしたし、本を読むのも好きでしたが、他の子と比べて優れていたか?というと全くそんなことがなくて、いわゆる「下手の横好き」という感じ。運動も体が小さいうえに不器用な方、勉強も人よりも学ぶのに時間がかかってしまう子でした。一言でいうなら、「鈍くさい子」やったんですよね。
物心ついた時には、自分でそれは自覚していたから、「人より時間が掛かるのは仕方ない。自分はそういうタイプなんだから、ウサギではなくカメをを自覚して頑張ればいい」と思っていました。ウサギタイプがすいすいと上達していくのを見てるのは悔しかったですけど、人を羨んでも仕方ないと諦めていました。
ただ、そういう自覚を持っていても、学校の先生や習い事の先生が、すいすいと上達していく子を「アイツは頑張っている」と評価し、僕の様な鈍くさい、時間のかかる子を「努力が足りないからだ」と評価するのだけは我慢ならなかったのを覚えています。
この先生みたいな人に子供の時に出会えていたら、どれだけ気持ちが救われたやろうなって思います。
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「脳は、とっさにどの回路を優先するか、予め決められている。誰にでも利き手がある様に、誰の脳にも「利き回路」がある。命に関わる様な「とっさ」の時に迷うと、危ないからだ」