【コミュ障について考えたこと①】
近年、「コミュ障って言われる人が増えている」とよく言われますね。職場にそういう人が居て扱いがとても困るみたいな事も身近でも見聞きします。仕事そのものは出来るけれど、周囲の仲間とのコミュニケーションが上手くいかない、人間関係をスムーズにこなせない。
なぜ、そういった人が増えてしまっているのか?そういった事を、とても考えさせられる文章を読みました。以下、抜粋して紹介します。
コミュニケーションの基本は「概念」である。同じ概念を持っていたら、コミュニケーションはたやすい。例えば、「命」や「母」という概念を持っている人に、別の言語では命はLife、母はMotherと言う、と理解させるのは容易い。「命より大事なこと」「女は弱し、されど母は強し」等という上位の新概念を伝える事も出来る。
しかし、命や母という概念がない人に、それを伝えるのは難しい。同様に、「人と会ったら、ウェルカムの表情や態度を示して、挨拶する」という概念があれば、世界中どこへ行ってもコミュニケーションが出来る。会社には入れば、「おはようございます」、イタリアで行けば「Ciao!」と挨拶出来る。しかも、イタリアではその後「上手くいってる?」「元気?」等と、相手のご機嫌をうかがう言葉を言わなければ冷たく感じられる、と説明されれば、そうする事も可能になる。
「人と会ったら、ウェルカムの表情や態度を示して、挨拶する」という概念は、世界中の民族が持っている。外国語を習う時も、最初に挨拶の仕方を習う。こういう所作に伴う概念は、小脳発達臨界期の8歳までに、「周囲の所作に共鳴」しながら「自然に身に付けるもの」である。
黒川伊保子(脳科学・人工知能研究者)
挨拶そのものは教えれば出来るけれど、挨拶の中にある本質が理解できていない人に、その本質を伝えるのは難しいですよね。黒川さんの書かれている「ウェルカムの表情や態度を示す」、それが挨拶の意味なのだ、ということ。「おはようございます」「こんにちは」という言葉そのものに意味があるのではなくて、そこに「相手を歓迎する気持ち」を込めれらなければ「挨拶の意味・本質は入っていない」。だから、それでは挨拶にはなっていないのだということ。
「相手の感情を逆なでしてしまう」態度の中にあるのは、この「概念の無さ」なんでしょうね。「歓迎の気持ちの込められない挨拶」が、相手の感情を逆なでし、カチンと来させてしまう。でも、当人には全く悪気はないし、「ちゃんと挨拶している」わけだから、意味が分からない。
この概念って、昔の言い方をするなら、「言霊」になるんでしょうね。確かに、言霊がこもると、「目で伝えられる」し、「お辞儀一つで気持ちが伝わる」、表面的な形はなんでも良くなってしまったりする。不思議ですよね~。
続く