人は一人でも生きていけるのか?②
菅野仁さんの著書「友だち幻想」を読んで考えたこと、「人は一人でも生きていけるのか」の続きです。
孤独に強い人と弱い人がいますが、その程度の差はあれど、完全に孤独で生きていけるわけではないと思います。物質的な問題、食べ物や仕事などの問題は置いておいたとして、コミュニケーションが欠ける事が与える「孤独感」の方だけを考えても、無人島で一人で生きていくのはどれだけ孤独に強い人でも辛いだろうし、恐らく動物などを飼育したりして、その寂しさを補うんじゃないかなと思うんですよね。
先の大戦において、終戦後もそれを知らず一人で戦争を続けていた小野田さんの様な強靭な精神を持った方もいましたが、普通の人なら気が狂ってしまうんじゃないでしょうか。菅野さんは、寂しさの理由を、次の様に書いておられます。
ではなぜ一人では寂しいのでしょうか。やはり親しい人、心から安心できる人と交流して居たい、誰かと繋がりを保ちたい、その事が人間の幸せの一つの大きな柱を作っているから。
だからほとんどの人が友達が欲しいし、家庭の幸せを求める。
(オキシトシンの作用。人はこの幸せを抜きに、本当に幸せにはなれないのだろう)
あの人と付き合うと便利といった、利得の価値で繋がる面もあるけれど、しかし人と人のつながりはそれだけではないわけです。
だから、「人は一人でも生きていけるか」という問いに対する私の答えは、「現代社会において基本的に人間は経済的条件と身体的条件が揃えば、不可能ではない。しかし、大丈夫、一人で生きていると思い込んでいても、人はどこかで必ず他の人々との繋がりを求めがちになるだろう」です。
この寂しさ、人と繋がりたい気持ちの正体、それは脳から見ればオキシトシンの作用になるんでしょうね。何でも脳の作用で語るのは味気ないですが、こういった物質に作用されている部分を無視は出来ないですよね。以下は「オキシトシンの作用」についてウィキペディアより。
作用
オキシトシンには末梢組織で働くホルモンとしての作用、中枢神経での神経伝達物質としての作用がある。
末梢組織では主に平滑筋の収縮に関与し、分娩時に子宮収縮させる。また乳腺の筋線維を収縮させて乳汁分泌を促すなどの働きを持つ。このため臨床では子宮収縮薬や陣痛促進剤をはじめとして、さまざまな医学的場面で使用されてきており、その歴史は長い。最初は女性に特有な機能に必須なホルモンとして発見されたが、その後、男性にも普遍的に存在することが判明している。また、視床下部の室傍核 (PVN) や視索上核 (SON) にあるニューロンから分泌され、下垂体後葉をはじめ様々な脳の部位に作用し機能を調節している。
こういった物質的な側面も考えながら、人間にとっての幸せを考えていくと、「何かを手に入れたり、達成したり」といった現代日本で重視されている「何かを獲得する」という幸せ以外にも、とても大きな幸せの要素があるのだという事をしっかり考えておく必要があるんじゃないかなという気がします。
人との触れ合い、また動物との触れ合いなどによって発生するオキシトシンによる幸せの感情。これを無視する事は、脳のシステムを考えると無理がある。
達成感や損得を超えた、人との関係を求める仕組みが人間の脳には仕込まれている。これもその機能に依存すると、恋愛中毒になったり他者への度を越えた依存になりますが、程よくその機能を使う事で、幸福感を感じられる。
この適切な距離感というか、「人と親しくなるための作法」について、菅野さんはこう書かれています。
【「親しさを求める作法」が昔と違う】
誰でも、「人と親しくなりたい」、「人と人との繋がりの中で幸せを感じたい」と願うもの。
本質的に人間は、繋がりを求めるものなのです。
しかし、現代はそれを求める事によりかえって傷ついたり、人を追い詰めたりする状況に陥る事がある。
どうしてそうなるのか?
一つには、「親しさを求める作法」がいまだに「ムラ社会」の時代の伝統的な考え方を引きずっているからではないか。
私達の置かれている状況は依然とはすっかり変わってしまった。ムラ社会的な作法では、家庭や学校、職場において、多様で異質な生活形態や価値観を持った人々が隣り合って暮らしている今の時代にフィットしない面が出て来ている。そろそろ、同質性を前提とする共同体の作法から、自覚的に脱却しなかえればならない時期だと思います。
基本的な発想として、共同体的な凝縮された親しさという関係から離れて、もう少し人と人の距離を丁寧に見詰め直したり、「気の合わない人とでも一緒にいる作法」というものをきちんと考え直した方が良いと思うのです。
自分にとって、ちょうどいいバランスの幸せ。それは人によってかなり違うものなのであるはず。本当なら、親や学校の先生が、子供のタイプによって上手く導いてあげればいいんでしょうけどね。
「達成感や獲得する喜び」を重視するタイプと、「人との繋がり、心の触れ合いによる喜び」を重視するタイプの人とでは、かなり異なる人生観になるのだから、自分が人生において重視する幸せを、自分自身でしっかり認識しているかどうかは、何か行動を起こす前に確認しておくべき重要事項であるのだろうと思います。