帰還兵は生きていてはならない存在

歌手の大貫妙子さんのお父さん。特攻隊で凄腕のパイロットだった方のお話しです。

世の中、知らないが沢山ある。本来なら、学校で教えなきゃならない事をなぜか教えないんですよね。

【帰還兵は生きていてはならない存在】

死ぬ事が運命ならば、生き残る事も運命ではなかろうか。

私、大貫健一郎は昭和20年4月5日、知覧飛行場から特攻機で沖縄の海に向かって飛び立ったが、待ち構えていた米軍のグラマン戦闘機に迎撃され、命からがら徳之島に不時着した。

喜界島に渡ってどうにか食いつなぎ、50日後に福岡へと戻ってきた。

そこで代わりの特攻機が渡され、再び沖縄に向かって突入するものと覚悟を決めていた。

しかし、実際には、特攻機を渡されるどころか、特攻の帰還者は収容所へ軟禁されたのだ。鉄条網が張り巡らされ、銃を持った衛兵が入口に立っている。 「振武寮」、そう書かれていた。

それから、16日間の幽閉生活が始まった。 「貴様ら、逃げ帰ってくるのは、修養が足りないからだ」 「軍人のクズがよく飯を食えるな。お前達、命が惜しくて帰って来たんだろう。そんなに死ぬのが嫌か」 「卑怯者。死んだ連中に申し訳ないと思わないか」 「お前ら人間のクズだ。軍人のクズ以上に人間のクズだ」

こんな屈辱的な言葉を、酒臭い息をプンプンさせた参謀から連日投げ掛けられるのだ。
不忠者!と怒鳴られながら、竹刀で滅多打ちにされるのも日常茶飯事だった。

我々 特攻帰還者は、生きていてはならない存在なのだ。

幽閉生活を過ごす中で、私は確信した。華々しく戦死したはずの特攻隊員が生き残っていては、軍上層部としては困る。

一般人や他の特攻隊員に知られぬ様に隔離したのだ。

出撃前には「軍神」と呼ばれ、生き神様として扱われた特攻隊員だったが、生き残るや一転、国賊扱いとなった。

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特攻をことさら美化するのもちょっと違うと思うけど、犬死にだと批判したりするのも また違うと思う。
自分個人としては、国のために命をかけてくれた方々には本当に感謝しているし、尊敬しています。

でも、中には自分の意志ではない(勿論それを言うなら、誰もが戦争時ではなく平和な時代に生まれたかったろうし、特攻になんて行きたくなかっただろうけど)人もいて、でも志願という形を取らされたという話も聞きます。

自分の聞きたい、知りたい部分だけを取り込むのではなく、客観的に全体像を理解しようとするのが、こういう方々への礼儀なんじゃないかな?と思います。

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