教えられたものは身につかない
素晴らしい記事。
一昔前は、当たり前の事でしたもんね。
これが無くなって、教えて貰うのが当たり前なったお陰で、結果として「教えて貰っても身に付かない」人間が増えてしまったんですよね・・・。
あ「当たり前」になる程、怖ろしいものはないなと思います。
●致知出版社の人間力メルマガより転載
【教えられたものは身につかない――仕事の極意】
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文楽人形遣いの道を50年以上歩み、
人間国宝に認定された三世桐竹勘十郎さん。
勘十郎さんはいかに自らの芸を磨き高めてきたのでしょうか。
若き日の修業のエピソードから、仕事の極意を教えられます。
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(――師匠から学んだことで印象に残っていることはありますか。)
(桐竹)
昔から基本的に文楽の修業は口では教えません。
入門したての頃、ある師匠方に呼ばれて「お前、神経ついとるか」と尋ねられたので、私が「はい、ついてますけど……」と答えると、「あるなら使い」と言われてお仕舞です。
何が足りないのか、何をどう使えばよいのか、具体的なことは教えてくれない。
これは要するに
「答えは自分で考えろ」
「舞台に出たら誰も助けてくれへんよ」
ということを暗に含んでいるんですね。
それに普段から「言われ癖」がつくと、
言われなければ何もできない人間になってしまいます。
私の師匠も、よい手本は目の前にあるのだから、どうぞいくらでも好きなように自分で盗んでください、
そういうやり方でした。
(――自分で考える。技や知識は自分で盗む。
文楽に限らず、どんな分野にも求められる力ですね。)
(桐竹)
実際、舞台ではいつ何が起こるか分かりません。
例えば、急に人形に不具合が生じた時に、どこにどんな異常が生じたのか、
自分で気づいて必要な対処がパッパッパと分からなければ、二次災害・三次災害に繋がりますし、ばたばたしてお客様に分かってしまいます。これが一番いけない。
ですから、舞台に出る人には自分で考える力がきちんと備わっていなければいけないし、とにかく〝気働き〟、気が走らないとやっていけません。
楽屋にいても、肩越しにチラッチラッと師匠を見ながら、ああ、師匠がいまこのタイミングで立ち上がろうとしている、この用事をしてほしいと思っているなどということが、言われなくてもぱっと分かるように気を走らせる訓練をしていくわけです。