自分の持っているものを最大限に活かす術
何をするにしても、自分の想いや本音を発信するにも、行動するにも、必ず必要なのが自信だけれど、今はその根っこにあるべきものが欠けている人が多過ぎますね。
「自信の無さ」に苦しみ続ける現代人。
幼い頃から他者から承認される事ばかりを教えられて、褒められる事を求め、批判される事を怖れる様に洗脳されている。
「自分の評価は他者が決めるもの」という評価基準で生きているから、自分が本当にやりたい事をするのではなく、他者や世間から評価を得られるものを選ぶ。
「常に自分の本音に逆らう」という事をしていると、どんどん自分の心を見失ってしまう。
そして、ずっと他者との競争の中で順位をつけられながら育ち、子供時代から大人になっても、ずっと本質的な自信を得られずにいる人がほとんどな気がします。
以前にまとめていた中野信子さんの著書からの言葉の中に、自信について書かれたとても興味深い部分があったので、以下に抜粋して紹介します。(どの本なのか、本の名前をメモしてなかったので分からないです・・・)
自信って「他者と比較して何かが出来る」というのではなくて、中野さんの言葉にある様に「自分の持っているものを最大限に活かす」方法を知っている時、自然に湧き上がって来るものである様な気がしますね。
他人と比べて少々劣っていようと、人って「自分が精一杯頑張っている」とか「自分の能力を最大限、引き出せている」という時、自分自身を誇らしく感じられるものなのだと思います。
ここから紹介。
「自身の醜さと闇を知る人」
脳というのは必ず、部分ではなく全体、ゲシュタルトを知覚するように出来ている。人が人を認知する時には、目・鼻・口といった部分的なものに注目するのではなく、顔という形全体で認知する。これが自閉症スペクトラム障害の人には出来ない。
造作はいまひとつでも圧倒される様な美しさのある人がいる。それは脳が、ゲシュタルトで知覚するからだ。いわゆる平均顔の人は美しいとされる。けれどそれは替えの利くパーツとしての美しさの様なものだ。認知負荷が低く、脳がラクを出来て、便利な顔だからである。
ただ、そういった平均顔的な「美しさ」と、圧倒される様な個性を持つ顔の「魅力」とは違うものでもあるだろう。個性的すぎる位の顔でも、自信に溢れ堂々としていれば惹きつけられる。
自分の持っているものを最大限に生かす事を知っている顔、その術を知っている人が輝いて見えるのだろう。
やろうと思えば誰にでも出来る事だ。
しかし、多くの人が、どうやったらいいのかが分からず困惑している。自信を持てと言われても戸惑ってしまうばかりで、ぎこちなく虚勢を張ってみても、それは自信とは程遠いものになってしまう。
自信のない人は、世間の基準に合わせて自分を変え、その合致する所に称賛を得ようと躍起になってしまう。
けれど、自信に溢れた人はその真逆かもしれない。
自分の業を肯定している。己の醜さと闇を知って、それを愛する方法を知っているから、輝くことが出来るのではないか。